2016-09-24 Sat

三連休の中日、不安定な天候と悪条件の中、多くの皆様にご来場をいただき、ありがとうございました。皆様の集中と熱気に包まれ、こちらもヒートアップして一気に駆け抜けた感があります。振り返ってみても充実した一夜だったとの手応えがしっかりと残っています。ここでは当日のプレイリストを、ジャケット写真、試聴リンク、多少のコメント付きで掲載させていただきます。なお試聴リンクはあくまで参考で、当日おかけした部分とはことなる場合もありますので、ご注意ください。コメントもまた当日の説明を再録したものではありません。


今回はCD、LPに加えDVD(PCで再生)まで音源に用いたため、再生の際のつなぎ替えが結構大変で、いろいろと不手際もあったことをお詫びいたします。
ただ、再生環境については、『松籟夜話』の欠かせない一部となっている歸山幸輔設計の反射板スピーカーが、その底知れない潜在力をますます発揮して、凄いことになってきているのをご報告しないわけにはいきません。
ちょっと舞台裏を明かすと、当日開演前のリハーサル時に、いつものように打合せ時に気になった部分を中心に、津田と予定音源を聴き返していたのですが、立ち会っていた歸山が「最近ようやく気が付いたんですけど、こうすると音が結構変わるんですよね」と言いながら、スピーカーの前面を床からすっと持ち上げ、少し仰角を付けた途端、音ががらりと質感を変えました。その時、私はスピーカーの正面ではなく、横に座っていたにもかかわらず、音の迫真性というか、説得力がぐんと増したのに驚かされたのです。見ると津田も月光茶房店主の原田も、そこにいた全員の顔色が変わっています。あわてて床とスピーカー前面フレームの間にスペーサーを挿んで固定し、正面に回ってみると、やはり生々しさや手触りの厚みが全然違っています。今までのは何だったんだ‥という感じ。スピーカーの角度について、ツイーターの高さや向きを耳の高さ等に合わせて調整する仕方はよく知られていますが、今回の音の変化はそうしたサービス・エリアの変化というより、スピーカーの正面側に対して、逆向きに付けられたスピーカー・ユニットの背面から音響が放出される際に、床との角度がかたちづくる「ホーンの開口部」に当たる角度の変化によるものではないかとのこと。また、スピーカー背後の壁に対する角度も当然変化するので、それによる響きへの影響もあるかもしれません。今回の再生音はオーディオに詳しい中村匠一さんも「これまでで鳴りっぷりが一番良かった」と誉めてくださいました。
ますますその魅力に磨きのかかった『松籟夜話』(笑)、今後ともどうぞご注目くださいますよう、お願い申し上げます。


2016/09/18『松籟夜話』第七夜プレイリスト
開演前BGM

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=BEIsINOFZiI
AMEPHONEの「監督」による作品集。コンピレーションの多彩さ。
開幕

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=LvumaiJPRwk
それが何であるかを告げずに、開幕のタイトル・クレジットの部分を映像無しで。風に運ばれるロシア民謡が、ふと湧き上がるヴェルディ『レクイエム』に沈み、犬の吠え声と車の音が響く。本作で死に至る病とされる「ノスタルジア」が今回の重要な伏線のひとつであることの予告。

総論/導入部

試聴:
ミュージシャン、録音エンジニア、フィールドレコーディング・アーティストと多彩な顔を持ち、演奏者を選び、イメージを伝え、音を組み合わせて、映画監督のように作品をつくりあげるAMEPOHONEの紹介。
台湾(?)の細路地の音景色(物売りの声が空間の奥行きを明らかにする)に、SP盤風の質感の女声による歌曲がかかり、風景との関係性を宙吊りにしたまま消える。突如としてレゲエ・バンド(AMEPHONE自身が演奏に参加)のライヴが挿入され、遠めの録音の薄暗さが、それが先ほどの細路地と地続きであり、一連の記憶の一コマであるかのような錯覚をもたらす。曲が終わると、耳は再びどこかの路地をさまよいだす(博打に興じる男たちの振る骰子の音)。
ここに見られるように複層化した彼の作品世界を3つの視点で切り分け(以下の第1~3部)、それぞれの線を伸ばしてみることにより、聴くことを深める試み。
第1部 「捏造」民俗音楽

試聴:https://amephone.bandcamp.com/
パリの公園のベンチ(?)での老人と旅行者の何気ないやりとり(日記映画風)が、タブラのリズムに煽られ、バリ島の喧噪、ひび割れたオルガン、サンバの沸騰をくぐり抜けるめくるめく音響絵巻。フラッシュバックする光景、恐るべき情報の洪水(でも懐かしく耳になじむ)。足元を常に切り崩し、耳を揺さぶり引きずり回す。深い混迷と眩暈のうちに現実(の記憶)と虚構の境目が溶解していく甘美さ。

試聴:http://www.reconquista.biz/SHOP/aya002.html
弦楽器の古風な爪弾き~クラシカルに香り立つピアノ~東南アジア歌謡曲のひなびたメロディが突然日本語に切り替わることにより、遠かったセピア色の風景が突然に自らのありえない記憶と響きあい、続くトラックのSP盤風の声の手触りと戦後まもない頃のエキゾ風南国アレンジが、さらに不確かな郷愁を掻き立てながら、知らぬ間にジャワ・ガムランに移り変わっている。詐欺の見事な手口を見せられたような感慨。

試聴:http://losapson.shop-pro.jp/?pid=11203809
当初、『Circuit Brasireilos』冒頭曲のファウンド・テープ的音触ゆえにキーワードとして提示した「民俗音楽の捏造」だが、CANによるEthnological Forgery Series(民族学的偽物シリーズ)の冷徹な分析/再構築(彼らは「ロック」すら、そのようにして捏造した)と比較すると、AMEPHONE やSoundwormが捏造しようとしているのが「音楽」ではなく、それが演奏される「場(=生活空間)」やそこに漂う生活の「匂い」であることが浮かんでくる(よりストレートにサウンドへと向かうSoundwormと、精妙にセノグラフィを構築し、気配を醸し出していくAMEPHONEという違いはあるにしても)。AMEPHONE自身、「その場所に行ってみたいと思うような音楽をつくりたい。でもその場所って本当はないんだけどね」との趣旨の発言をしている。

試聴:http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&products_id=9811
前述の転換により、「捏造された音楽」ではなく、「現地録音に映り込んだ生活の匂いを聴く」ことに。ふらりと村を訪れ、住民と仲良くなり、生活空間にマイクロフォンを挿し込む(ステージを仕立てるのではなく)Laurent Jeanneau(=Kink Gong)の録音。中国少数民族による「蝉歌」と呼ばれる伝統合唱の向こうから、生活のざわめきや仕切られた空間の成り立ちが聴こえてくる。

試聴:http://www.allmusic.com/album/vietnam-music-of-montagnards-mw0000030959
ゆるやかに間を置いて打ち鳴らされるゴングの柔らかな響きの間から、演奏とは関係ない日常の生活音がざわざと溢れ出す。「民族音楽」の現地録音だが、この流れで聴くと、まるで生活音を引き立てるために手前に演奏を配したように感じられる。
第2部 映画的空間構成

試聴:http://www.reconquista.biz/SHOP/aya002.html
捏造戦後歌謡による浮遊する異国情緒(よく聴くと歌詞もディープ)、主演俳優が歌う劇中歌風のへたうまデュエットが、背景への不明瞭なセリフのカット・インから車の走行音を合図にラウンジ風味のラテン・バンド演奏へ。視点/空間の唐突な切り替え/接合がもたらす映画的なカット割りの感覚。石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎が活躍したかつての日活無国籍アクション映画における、キャバレーでの喧嘩シーンからスポーツカーでの逃走劇へ‥という流れを彷彿とさせる。

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=8oQfSqXCrnE
冒頭部分を。音楽だけではなく、セリフや物音まですべてを収録した文字通りのサウンドトラック。音像の移動や遠近の響きの変化に、映像(視覚)を排しても、なお細やかなカットの切り替わりがまざまざと触知できる。モンタージュ(コラージュ)というより奥行きや広がりの異なる空間の共存がここにある。これを聴いた後で映画作品を見直すと、映像のカット割りが音響のそれと全く違うことに愕然とする。

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=dgRA_FKUC4Y
大友初の映画音楽作品から、映像内の音響を用いたトラックを。奥まったスクリーンを基準平面として、傍らでテーマが奏され、サステインの効いたエレクトリック・ギターが手前にうっすらと涙の幕をかける。ゴダールに比べ平坦な構成。

試聴:https://www.amazon.com/The-Cryptosphere/dp/B004G2OPGS
Lacy最大の問題作から。「いかにもジャズ」な気怠い演奏(買ってきたレコードをかけている)が中央に配され、そのわずかな余白に書き込まれる切り詰められた演奏。多重フレーミングの重なりが奥行きをもたらす空間構成は、録音担当Daniel Vallancienの貢献が大きい(Lacy自身の証言あり)。
※ジャケット写真ははCD再発盤『Scratching Seventies』を掲載。

試聴:http://www.drame.org/2/Musique.php?D=91&LA=EN
開かれた窓の外の音景色に演奏がかぶる。巨大なバラフォンと小さなウィンドチャイムによるオモチャな音色とベビー・ベッドの上で回るメリーを思わせる自動演奏風のフレーズという戦略的選択(確信犯!)が、演奏のリアルな存在感をどこまでも希薄化し、巧みに編集された音風景を無防備な耳に流し込む。録音担当はVallancienの後継者というべきDaniel Deshays。

休憩BGM

試聴:http://www.dust-digital.com/luk-thung/
AMEPOHONEの愛するタイの歌謡曲モーラムから。東北地方民謡出自のイナタいメロディやケーンの響きが、キャバレーの箱バン風のアレンジやレゲエ感覚の後ノリのヴォーカルと合体。同時代の昭和歌謡曲と同じく無国籍な雑食的実験性溢れる人懐っこさ。
第3部 空間による音の変容への眼差し

試聴:
以前にも別トラックを採りあげたAMEPOHONE録音/プロデュース作品から、今回はFuminosukeのヴォーカルなしの表題曲を。空間に滲み溶けていく響きへの眼差しが、体育館にこもる熱気と重ね合される。電子音(前出のSoundworm こと庄司広光による)が回路的なエフェクトとしてではなく、空間に放出され、ある帯域をマスクあるいは強調し、空気を揺り動かすことを通じて演奏と混じり合い変容させる。

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=gi9eAk41Rs0
AMEPOHONEの先駆者と言うべきDaniel Vallancien録音作品を続けて4つ。まずは「世界最初のインディーズ・レーベル」Saravahを主宰するPierre Barouhの代表作から。街頭のざわめきと混じり合い空中に舞い上がって、ゆるやかにたなびきながら希薄に溶けていくブラスバンド(前掲のBernard Vitetも参加)の響きと、胸をそらした押しつけがましさの一切ない声が睦みまどろむ白昼夢。

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=3WfVir1_Edc
前掲作品に続きSaravah必聴名盤から。声量のないささやきヴォーカルの手触りをリアルにとらえつつ、管楽器の響きを極端に切り詰め、単一フレーズを繰り返すリズムに北アフリカの乾いた風を吹き抜けさせて、確保した隙間に異国の香るメロディをモザイク状にちりばめるDaniel Vallancien巧みな音響構築。この誰しもが聴いているはずの曲の「ジャズ」に対する徹底した異化ぶりを、ここまで鮮やかに示し得たのは、歸山幸輔設計のスピーカーの貢献が大きい。ちなみに本トラックのトランペットはLeo Smithによる(Saravah盤ジャケットに表記あり)。

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=5drrLal9fr8
おどけたファンファーレ、静寂に浮かぶヴィブラフォンの震え、ガラクタ/オモチャな小打楽器類、下卑た笑いに満ちた乱痴気コーラス、突如始まるディキシーランド‥短い場面を連ね、多様な音色と幅広いダイナミクスを駆使した、フリー・ジャズの徹底的な異化/再構成(黒い哄笑に満ちた)を支えたのは、彼らによる音響への覚醒した視線を具体的にテープに定着し得たDaniel Vallancienにほかならない。

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=KPliRMCaV84
前掲作と同じく初期BYG盤から。肉感的なブロウを排し、むしろ感情を取り除いた精密かつ多彩な微弱音を駆使したサウンドによるパペット・ダンス。その「非人間的」在りよう(前出のBernard Vitet『Mehr Licht!』にも通ずる)は定型フリー・ジャズの範疇では到底とらえられない。やはりDaniel Vallancienの耳なしには成し得なかったであろう達成。

試聴:http://www.reconquista.biz/SHOP/MK40.html
鈴木ヒラクのパフォーマンスと植野隆司の生ギターの共演。遠い録音が、ギターの響きが距離/空間に侵食変容される様をリアルにとらえており、空間のざわめきには、多方向から交錯する残響や背景ノイズのほか、パフォーマンスで空中のたなびかされる紙の音も微かに混じっている。以前に『松籟夜話』第五夜で採りあげた、さや、梅田哲也、高橋幾郎との『モエレ』以上に、デレク・ベイリーと田中珉による『Music and Dance』を彷彿とさせる空気感。

試聴:
『松籟夜話』第一夜Michel Doneda特集でも採りあげた『Montagne Noire』から、それとは別のトラックを。打撃の直後に水に浸され音高を急にベンドさせるシンバル、かき混ぜられる河原の小石、川面を切り裂く水しぶき、泡立ちほとばしり靄のように立ち込める息‥‥間近に見詰め、不意に遠ざかり、自由奔放に立ち回る演奏者を追いかけまわし、一瞬静まり返った渓谷に響く小鳥の声に耳を澄ますマイクロフォン。まさに録音による演奏。

試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/flexion/flex-007.html
廃業した伝統あるホテルの様々な場所での演奏から中庭の場面を。響きを通じて空間を手探され、演奏によって空間が照らし出される。ここで二人は互いに言葉を交わす代わりに、明らかに各々が空間を探査し応答しており、二つの軌跡が交差する様がレコーダーに記録されている。まるで地縛霊を振り払う「キヨメ」のような不気味さ。

試聴:https://www.youtube.com/watch?v=LvumaiJPRwk
今度は作品名を明らかにした後に、荒い息を吐きながら苦行を果たし終えた詩人が呻き声と共に倒れ、やがて廃墟の中に故郷の家が浮かび上がり、恩寵のように雪が降り出す有名なラスト・ショットまで映像無しに。
音だけで(フィルムの映像ではなく)視覚の運動/変容が立ち上がってくると同時に、ヴェルディ『レクイエム』、ロシア民謡、鳴き回る犬と、スクリーンの映像は全く異なるオープニング・シーンを、音響が反復していることにも改めて気づかされる。
ノスタルジアとはnostos(帰郷)とalgos(痛み)の合成による造語であり、空間的・時間的に離れた「場所」に還りたい、身を埋めたいという切実な想い、死に至る病を指す(決して甘い郷愁ではない)。その場所とは実在の故郷なのだろうか。むしろ、いまここではない、どこか離れた場所への身を切るような想いではないか。その想いを託され、一瞬ではあるが叶える音楽の力があるのではないか。

帰路へのサルヴェージ

試聴:https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&cd=MHCP000000594
『松籟夜話』ではいつも、音の深みから現実世界へと浮上する「サルヴェージの時間」を設けている。今回は知る人ぞ知るエヴァーグリーン的名盤から。ここでは本来センターに定位すべき声が、視界の片隅から遠い響きとともに聴こえてくる。まるで隣の部屋で歌っているような親密な肌触り。「いまここではないどこか離れた場所」とは、遠い異郷でも仮想世界でもなく、意外と近くにあるかもしれないという救いを込めて。


興奮冷めやらず珍しく賑わうアフター・アワーズの交流
『松籟夜話』第七夜
日時:2016年9月18日(日)
場所:ビブリオテカ・ムタツミンダ(「月光茶房」隣接スペース)
福島恵一 音楽批評/「耳の枠はずし」 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/
津田貴司 サウンドアーティスト http://hoflisound.exblog.jp/
歸山幸輔 オリジナルスピーカー
◎音楽批評・福島恵一とサウンドアーティスト・津田貴司がナビゲートする、「聴く」ことを深めるための試み。◎会場は青山・月光茶房隣設のビブリオテカ・ムタツミンダ。歸山幸輔によるオリジナルスピーカーで様々な音源を聴きながら「音響」「環境」「即興」の可能性を探ります。
第七夜は、360°records関連アーティスト、主にAMEPHONEの音源を灯台として、映画的な音像構成や民俗学的な現地録音、さらには空間に浸透していく響きの行方を見つめる眼差しへと至る、聴取の可能性を照らし出します。

当日写真撮影:原田正夫、多田雅範、津田貴司
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