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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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「ECM Catalog」-道に迷うための地図
「耳の枠はずし」の最終回「ECMカフェ」以降もECMの奥深い響きにはまっている。その後、7月14日に発売された完全ディスク・ガイド「ECM Catalog」も購入した。
そこだけで1冊になりそうな冒頭のジャケット写真を載せたグラビア頁(フルカラー)を見ているだけで、いろいろ発見がある。「ECMカフェ」でご紹介した「水平線ジャケ」の話も、この頁のPDFファイルを月光茶房で店主の原田さんに見せていただいた時に気がついたものだった。

もともと「ECMカフェ」のアイデアは、「3人くらいでディスクをかけながら話ができたらいいな」くらいの思い付きから始まった。「だとしたら、ネタは何にしたらいいだろう」と考えているうち、当時「ECM Catalog」が発行間近であることを知って、「それだ!」と決めてしまったものなのだ。「何て安易な‥」とあきれられてしまいそうだが、本当のことだから仕方がない。他のお二人、ECMコンプリート・コレクターの原田さんと元ECMファンクラブ会長の多田さんは、何しろこれ以上ないECMの大家なのだから、聞き役に徹していればいいかな‥ぐらいに考えていたのだ。

だから、「耳の枠はずし」の第1回から聞いてくれた多田さんに、「フリー・ミュージックのハードコアとECMじゃ全然違うじゃないですか!」と言われた時は、正直困ってしまった。その一方で、やはりレクチャーを聞いてくださっていた原田さんからは、「響き、触感、空間など、ECMを考える際と共通のキーワードが一杯出てくる」とのご指摘もいただき、何となく設定すべき耳の視点が浮かんできたような気もしていた。

レクチャー第4回「清水俊彦を聴く」の準備で、清水俊彦さんの書かれた文章を読み直している時に、清水さんが「ポスト・フリーの探求」の文脈で、アイヒャーの発言を引用しているのに出くわした。一瞬、すごく唐突な感じがした。だが、そこで挙げられている初期ECMの作品を見て、すぐに納得する。ECM 1004 Marion Brown / Afternoon Of A Georgia Faun はじめ、初期のECMが様々な方向から(ここが重要)、「フリー以降」の可能性を探っていたことを、今更のように思い出したのだ。実際、その後、ECMが確立していくパブリック・イメージ(「クリスタル・サウンド」や「キース、チック、パット」)からすると、初期作品にはデレク・ベイリー参加作品が2枚もあったりして、異質な感じを受けることだろう。だからと言って、初期はフリー・インプロヴィゼーションに集中していたというわけでもない。同時にポール・ブレイのピアノ・トリオだって2枚もあるのだから。アンソニー・ブラクストンの参加作品があり、より若い世代であるアルフレート・ハルトたちの集団即興演奏があり、フュージョン・ブームの発火点となった「リターン・トゥ・フォーエヴァー」がある。この多様性が、あえてレーベル(しかも個人による)にして「エディション」を名乗る理由だろう(ちなみにECMとはEdition of Contemporary Musicの略)。

ECMのディスコグラフィを初期から順に見ていくと、ECM 1001~1030の初期30作品が、そうした様々な方向からのポスト・フリーの「一覧表」のように感じられる。と言うより、自分の愛聴盤であるECM 1032 Ralph Towner / Diary やECM 1060 Ralph Towner / Solsticeは、明らかにそれらとは空気が異なるように感じられる。多田さんが言うところの「ジャズでもない、フリー・ミュージックでもない」、つまりは「他の何物でもない」ECMが、ここで初めて地層の堆積として露呈してくるように思われるのだ。「フリー・ミュージックのハードコア」との対比で、「ECMのハードコア」というキャッチフレーズがひらめく。これまた安易だが、でも仕方ない。本当のことだから。改めてしげしげと Ralph Towner / Diaryのジャケットを眺め、C.D.フリードリヒ「海辺の修道士」との類似に気づく。一度気がついてしまうと、もう他の見方ができなくなってしまうくらい強烈に似ている。というか、ここで眼差しは明らかに同じものをとらえている。北の海の果てに広がる凍てついた無限を。

その眼で見ていくと、次から次に同様の構図の「水平線ジャケ」が出てくる。その中でも特筆すべきは次の6作あたりだろうか。
ECM 1032 Ralph Towner / Diary
ECM 1038 Art Lande,Jan Garbarek / Red Lanta
ECM 1075 Jan Garbarek-Bobo Senson Quartet / Dansere
JAPO 60003 Edward Vesala / Nan Madol(ECM 1077)
ECM 1083 Terje Rypdal / After the Rain
ECM 1093 Jan Garbarek / Dis

「ECMと北方ロマン主義の系譜」、「凝視による像の滲みと音の響きの広がり」、「距離による風景の生成/再構成」等のテーマ系は、音だけを聴いていたら決して出てこなかったと思う。それだけECMにとってヴィジュアル・イメージが重要ということだ。ただ、ここで注意しなくてはいけないのは、ヴィジュアルがサウンドを絵解きしているわけではないし、反対にヴィジュアル・イメージをサウンドが解説しているわけでもないということだ。両者は互いにもたれかかることなく自律し、別の系列に属している。だからこそ、ヴィジュアル・イメージをそれ自体系列としてたどることが、大きな意味を持ってくるのだ。

もともと「ECMカフェ」当日にSound Cafe dzumiのオーディオで聴いたRalph Towner / Solsticeの冒頭曲Oceanusの衝撃を、改めて整理し論じたいと思っていた。その宿題は果たせていないが、この演奏の魅力については、いずれどこかでまた触れる機会があるだろう。ECMの核心がそこにはっきり見えた気がした。だがそれも切り取られた一片の風景に過ぎない。一瞬霧が晴れ、風景があり得ない鮮明さで視覚に突き刺さる。距離を欠いた衝撃。だがそれはすべてではない。他のほとんどの風景は、まだ霧に埋もれているのだ。そして、この深い森の探索を倦むことなく続ける者たちにだけ、気まぐれな女神は、束の間、そのヴェールを掲げてみせるに過ぎない。結局、我々は知ることになる。この深い森の魅力は迷うことにこそあるのだと。終わりなく迷宮をさまようことが悦びにほかならないのだと。

他のディスク・ガイドと異なり、この「ECM Catalog」は近道を教えてくれない。見渡したのとは異なる風景が、すぐそばに開けていることを訴えてやまない。何しろ果てしもなくさまよい、「道に迷うための地図」なのだから。その意味では、「ガイド本」と呼ぶのはふさわしくないのかも。しかし、だからといって、病膏肓に入った末期的マニア専用というわけではない。ECMの馨しさに魅せられながら、この広大な森にどこから分け入ったらよいかわからない人たちに、適切な入口(それは無数に開けている)を示してくれることだろう。4200円(消費税込み)は高いかもしれない。ならば図書館にリクエストしてみてほしい。これぞアルシーヴにふさわしい1冊だ。


稲岡邦彌編「ECM Catalog」 
発行:東京キララ社 
発売:河出書房新社


ウェブ上ではやはりmusicircus内のECMセクションが参考になるだろう。
http://homepage3.nifty.com/musicircus/ecm/
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書評/書籍情報 | 23:22:06 | トラックバック(0) | コメント(2)
コメント
No title
Keith Jarrett, Arbour Zena, 1070 などは、いかがでしょう
2010-08-02 月 22:49:15 | URL | araiguma [編集]
コメントありがとうございます
araiguma様、コメントありがとうございます。作品の内容については原田・多田の両師匠にお尋ねください。「ECM Catalog」のレヴューは多田さんが書いてますね。「青さの魅力」ってところでしょうか。
2010-08-11 水 22:41:12 | URL | ふくしま [編集]
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