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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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タダマス ピアノ協奏曲第27番(モーツァルト作曲)を弾く  "TADA-MASU" Plays Mozart-Piano Concerto No. 27 in B flat Major KV 595
 本日、10月22日(日)に、益子博之と多田雅範がナヴィゲートするNYダウンタウン・シーンを中心にしたコンテンポラリー・ミュージックの定点観測「四谷音盤茶会(通称「タダマス」)」は通算27回目を迎える。
実は今日、どうしても駆けつけなければ気が済まないライヴ(前回レヴュー中で告知した大上流一、外山明、徳永雅豪によるトリオ@Ftarri水道橋)が出来てしまい、行けなくなってしまった。第10回に続く2回目の欠席である。残念。だが、26回中25回という出席率(=96%)は、自分で言うのも何だけど、かなりなものだと思う。そもそも私はいったい何の理由で、これほどまでに「タダマス」に入れあげ、通い詰めているのだろうか。

 もちろん、益子と多田の耳を高く評価しているということがある。それはこれまでの「タダマス」告知で繰り返し述べてきたことだ。だが、それだけではない。彼らが選び取る音盤や聴取体験に向けて放たれるコメントが、私にとってとても重要かつ切実なものであるのは、それが単に質が高いからではなく、私が探求したい、どこまでも掘り下げ、その核心を刺し貫きたいと念じている「即興演奏」という事態に、まったく別の角度から光を当ててくれるからにほかならない。
 ここで即興とは「あらかじめ準備していない」とか、「譜面に書かれていない」などと言うことは意味しない。クラシックの作曲作品のように、しっかりと楽譜に書き込まれた音楽でも、演奏においては即興的瞬間が忍び込まざるを得ない。それらによる揺らぎを、「作曲者の意図」に対する「演奏者の解釈」という写像関係においてとらえ、そこからはみ出る部分はノイズとして排除してしまうというのが、通常の作曲作品演奏に対する姿勢であり、この制度は、作曲者>演奏者>聴取者という階層を確固たる前提とし、これを保持するのに貢献している。

 今でこそ、こうした「即興」観に至っているが、かつてはフリー・インプロヴィゼーションの世界にその先端が存在し、その先にこそ可能性が開けていると考えていた。だが、音盤レクチャー「耳の枠はずし」で「フリー・ミュージックのハードコア」を採りあげた際に、デレク・ベイリーやミッシェル・ドネダのすぐ傍らに、フィールドレコーディングの照らし出す生成する音響環境が開けていることを知った。例えばベイリーなら『Music and Dance』で、演奏の足元を洗う交通騒音、空間に潜む田中珉の気配、それらをもろとも覆い隠してしまう激しい雨音に対し、それらを排除して「汚染されていない純粋な」ギターの音を復元するのではなく、それらを通して、それらと共にギターの響きを聴くこと。そしてドネダなら『Montagne Noire』で踏み込んだ野山において、掻き分けられる草の繁みや足下で折れる枯れ枝の立てる音と入り混じり、相互に浸透しあうソプラノ・サックスやパーカッションの響きに耳を傾け、音景の生成に浸ること。

 フリー・インプロヴィゼーションとフィールドレコーディングをシームレスに聴いていくことは、その後に津田貴司、歸山幸輔と始めたリスニング・イヴェント『松籟夜話』において、「即興・環境・音響」というキーワードにより掲げられることになる。その時にモデルとなったのが「タダマス」だった。音盤を聴きながら、掛け合いで話していくというスタイルももちろんだが、「現代ジャズ」に空間や響き、触覚や揺らぎを、積極的に聴き取っていく姿に、いかに触発され、勇気づけられたことか。
 誤解のないように付言しておけば、「タダマス」でかかる音盤を「現代ジャズ」とくくってしまうのは、あまりにも乱暴だ。例えばタイション・ソーリーの作品には、モートン・フェルドマン的な要素が多分に含まれている。彼をはじめ、「タダマス」に繰り返し登場するミュージシャンたちが言うように、コンテンポラリー・ミュージックとだけ呼んでおけばいいのかもしれない。しかし、にもかかわらず、それらの音楽がジャズ由来の要素を多く擁していることも確かだろう。そして、かつてのジャズの録音は(ECM等を例外として)音場や空間に注視を向けることはなかった。ジャズにおいてまず聴くべきは個々の演奏者のかけがえのないヴォイスであり、それはすなわち(ソロイストの)楽器の音にほかならないのだから、それは当然のことと言うべきだろう。しかし、にもかかわらず、益子や多田の耳は時代の変容をとらえ、空間や響きに焦点を合わせたのだった。最近、ジャズ再興が声高に語られるが、益子や多田のような認識の転換に至り、耳の視線を切り替えることのできた聴き手は少ない。


 津田貴司が、Facebookに「即興」について次のような書き込みをしている。

 「即興」というときに、ほとんどの演奏者は、互いに向かい合ってそろそろと歩み寄り、やがてがっちりと互いの襟首か帯をつかんで組み合う「格闘技型」か、同じ方向を向いてありうべき全体像の中で自分のポジションを獲得し、その中で程よく目立ちながら破綻を来さないように振舞う「組体操型」に陥る。
 しかし、そうした「即興演奏の型」(それ自体が語義矛盾だ)が成立するのは、演奏者が共通認識として「音楽」という制度を頑なに信じ、その制度に基づいて互いに「合わせる」ことを尊んでいるからにすぎない。「即興」は、そうした制度を内部から瓦解させる野性の試みであったはずではないのか。
 そのように形骸化した「即興」に背を向け、演奏者が互いに我関せずとばかりに周囲に野性のアンテナを張り巡らせるとき、これから始まるのは格闘技でもなく組体操でもなく、聴取者にとっては未知の深海生物の様子を観察するような事態が立ち現れるはずだ。
 「即興」に関するこの考察、以前ftarriで森重靖宗さんと大上流一さんのデュオを聴いたことからヒントを得ている。自分の演奏を見直すきっかけにもなった。

 私には、津田のこの「即興」観が、高岡大祐の「釣り哲学」(というと彼自身は嫌がるだろうが)と緊密に響き合っているように思える。

 人は釣りといえば「待つもの」だと思うようだが、僕がやる釣りは全く待たない。とにかく忙しい。 道具は最小限で最小ならウエストポーチ一つで大きなクロダイやスズキも狙える。その場に合わせて仕掛けを作り直し、環境の変化による魚の食性を読み、釣りは釣り以外のことをやるほうが良く釣れる。ボーっと待ってるのは誰だって苦痛だ。
 要はどこに魚がいるか、どうやってその魚の口に鈎をかけるか。それだけだ。見えない水の中を、考え尽くすのだ。
 入り口は「ヘチ釣り/落とし込み」。 主に黒鯛を釣る方法で、全く投げない。魚は障害物につくので足元にたくさんいる。 最初は信じられなかったけど確かにいる。後はどの深さにいるか、つかめばいい。
 最終的にはそれらを含む「脈釣り」全般の釣り人となった。ウキなどを使わない、竿、糸、オモリ、鈎、餌。全感覚を集中してそれらの変化を、まさに脈を取るように感知して釣り上げる。

 イディオムによる閉域を生み出すことのないノン・イディオマティックなインプロヴィゼーションを掲げ、複数の音を結びつける線(それこそがメロディ、リズム、ハーモニーを仮構する)を、多方向から交錯/散乱する音響のつくりだす束の間のコンステレーション(星座)へとさらさらと崩し去っていくデレク・ベイリーDerek Baileyの演奏。『Improvisation』(Cramps 録音1975年)で彼は、当初はエレクトリック・ギターのペダル操作によるステレオ効果で得ていた成果を、アコースティック・ギターによるちょっとした「ほのめかし」により達成している。アクション自体のカタログは厳しく絞り込まれ、代わりに無限のニュアンス、徴候、暗示、素早い参照、一瞬のうちに引かれすぐまた掻き消される照応の線等が導入される。

 それを聴き取ることができるのは、未知の深海生物の様子を観察するために張り巡らされた「野生のアンテナ」であり、ウキなどを使わずに、竿、糸、オモリ、鈎、餌。全感覚を集中して、それらの変化をまさに脈を取るように感知して眼に見えぬ水底を探る「脈釣り」であり、空間や響き、触覚や揺らぎを積極的に聴き取る「タダマス」の耳にほかならない。

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益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 27
2017年10月22日(日) 
open 18:30/start 19:00/end 22:00(予定)
四谷三丁目綜合藝術茶房喫茶茶会記
ホスト:益子博之・多田雅範
ゲスト:田中徳崇(ドラム奏者)
参加費:¥1,300 (1ドリンク付き)

 今回は、2017年第3 四半期(7~9月)に入手したニューヨーク ダウンタウン~ブルックリンのジャズを中心とした新譜CDをご紹介します。
 ゲストには、ドラム奏者の田中徳崇さんをお迎えします。シカゴでの10年に及ぶ活動を経て、ジャズに留まらない多彩な領域で幅広く活躍する田中さんは、現在のニューヨークを中心としたシーンの動向をどのように聴くのでしょうか。お楽しみに。(益子博之)


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ライヴ/イヴェント告知 | 00:37:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
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