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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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補助線の効用―『タダマス28』レヴュー  Additional Lines Are Useful― Review for "TADA-MASU 28"
 前回欠席したため半年ぶりとなった『タダマス28』は、益子による選択・配列と多田の放言が冴え渡る回となった。前半が「ギター特集」で後半が「ピアノ特集」と紹介された、この日のプログラムは、その「分割」を越えて、幾つもの照応の線を縦横に走らせ、聴取の豊かな可能性を明らかにしていたように思う。
 このことを示すため、今回のレヴューでは『タダマス28』で採りあげられた全作品に言及するが、それでも特定の視点/切り口からの紹介であり、「タダマス」の特長であるホストとゲストのやりとりを含めた全貌を示すものとはなっていないことを、あらかじめお断りしておく。


 開幕はMary HalvorsonとMiles Okazakiのツイン・ギターによるMasada曲集『Paimon - Book of Angels Volume 32』(Tzadik)。Masadaとはジョン・ゾーンがオーネット・コールマンのオリジナル・クワルテットのピアノレス編成をあえて引用しながら、徹底的な解体/再構築によりクール・ジャズ化=ジャズの白人化を極限まで推し進め、これによりジャズにオマージュを捧げるという、ジェイムズ・ジョイス的とも言い得るハイ・モダニズムの欲望を露わにしたプロジェクトだった。しかし、ここにはもはやそうした針の振り切り加減はなく、色とりどりの線が互いに速度を競いつつ、表裏が不断に入れ替わり、ねじれながら伸長していく極めて抽象的な世界が開けていた。続くHalvorsonとBrandon Seabrookのツイン・ギターがダブル・トリオ編成に組み込まれたTomas Fujiwara『Triple Double』(Firehouse)では、各演奏者の関係性が縦横に整理されてしまうが故か、演奏の駆動力がいささか欠けるように感じられた。
 

 三枚目、Seabrook の参加したVinnie Sperrazza Appocryphal『Hide Ye Idols』(Loyal Label)でいよいよエンジンが暖まってきた印象。アルト、ギター、ベースが一体に溶け合った持続音が水平にたなびき、時折打ち鳴らされるシンバルの余韻が輝きを放つ。誰とクレジットされていない電子音の細やかなさざ波が空間を遷移し続ける。ここでエレクトロニクスはそれ自体ひとつの音響として鳴り響くだけでなく、他の楽器の響きの一部を採取して、空間の各所に転移/増殖させているように感じられる。順に一次元、二次元と来て、響きの奥行きが三次元的に感じられる本作品の空間性は、だがこの電子回路の作用により、暗闇に仕込まれた幾つもの合わせ鏡のような不可思議な反射/転写ぶりを示しており、虫食い穴だらけの、きっちりと割り切れない余剰の次元を持つように感じられてくるのだった。そのSeabrookのリーダー作『Brandon Seabrook's Needle Driver』(Nefarious Industries)では、三枚目で遍在していた電子の雲はギターのエフェクトへと集約され、弦から迸り出る渦巻きねじれるリフレインから、破片となって改めて四方へと飛び散っていく。これだけを聴いたら「空間系エフェクト使いの巧みさ」とだけとらえられかねない達成が、ここまでの一連の展開により細部まで照明を当てられることになる。だがしかし、益子が「オルタナ・メタル的」と紹介していたように、フランク・ザッパの曲をロバート・フリップが演奏しているような、複雑な構成が眼前で組み変わる「合体ロボ」的快感が魅力なのも確かだ。
 

 対してTodd Neufeldを含むas, tb, gのトリオによる『In Formation Network』(Nuscope)は、全く異なる方向から空間に眼差しを送る。ジョン・ゾーンのプロジェクトNews for Lulu同様、Jimmy Giuffre, Bob Brookmeyer, Jim Hallのトリオに範を得た演奏は、オリジナルの二管が織り成す対位法的な絡みと推移するギターとのリズミックな照応とも、News for Luluの変形自在な速度溢れる流動感覚とも異なる達成を成し遂げていた。それはひとことで言うと、異なる温度の空気が相互に浸透しあうような、気体同士が入り混じる感触だ。ぶつぶつと静かに唾液が泡立つアルトがフレーズをどこまでも引き伸ばし、ゆるみほどけて音自体の重みで落下してしまいそうなところをトロンボーンの持続音が裏打ちし、煙が漂うように支えている。上下に重なり合っていることは明らかながら、輪郭が溶けて曖昧な二管の音色に満たされて深さの見通せない空間の奥の方で、ギターの点滅が奥行きを構成する。演奏が進むにつれ、三者の音はさらに脆く壊れやすさを増しながら、谷へと舞い降りる雲や霧が溶け合うように入り混じる。濃霧に視界が閉ざされる中でもつれ合う息の指先。実はここでプレイされたトロンボーンのヴァーチュオーソSamuel Blaserのペンによる曲「Pieces of Old Sky」は、本作中に2テイク収録されており、比較のために益子もうひとつのテイクの冒頭部分を披露してくれたが、そちらはフィギア・スケートに「トリオ」という種目があったらかくや‥‥と思わせる自在に役割を交替しながらの滑らかな運動性を、オリジナルやNews for Luluと共有するものだった。そちらがtr.2なのに対し、採り上げられた音源が最後のtr.9に置かれていることが、その特異さを示しているように思われる。
TD28-5縮小



 後半の幕開けはManasonics『Foley』(dStream)。「ピアノ特集」と言いながらBenoit Delbecqのピアノは決して前景化することはない。「映画の音響設計を担当している」と紹介されたNicolas Beckerの手腕なのだろう、シンバルの震え、ピアノの遠い響き、シンセサイザーの不気味な屈折が、粒子の粗いモノクロ画面の中で野外の音や鐘の響き、語られるセリフと対等に混じり合う。実に見事な音響空間の構築ぶりではあるのだが、これならDelbecqがピアノを弾く必要はなく、Steve Stapleton(Nurse with Wounds)にファウンド・テープを渡せば済んでしまうのではないかとも思う。その一方で、一見、器用貧乏風にいろいろ風変わりなことに節操なく手を着けているように見えるかれが「同じことを繰り返しながら深めている」(多田)のも確かなのだが。
 このように曖昧な不透明性を有する本作が後半の冒頭に置かれ、実は続くBorderlands Trio『Asteroidea』(Intakt Records)及びそれ以降への巧みな補助線となっていることに、後から気づかされた。Kris Davisのピアノのプリペアドによりミュートされくぐもった響きと、音高を微妙に揺らし泳がせるベース&ドラムが空間の広大さを際立たせるように希薄に配置される。Nicolas Beckerの仕事ぶりを先に聴いているせいで、録音やミックスがごく普通で、音場としてステージの限定された広がりを浮かび上がらせてしまうがゆえに、もっと遠近の隔離をはじめ入り組んだ空間構築を欲する演奏者の想いが果たせていないのではないか‥‥とどうしても想像してしまうことになる。潜在的な可能性を可視化する見事な配列と言えよう。
 2台のピアノの共演であり、2人の女性ピアニストの「対決」でもあるEve Risser, Kaja Draksler『To Pianos』(Clean Feed Records)から、このトラックだけは他の収録曲と全く違うという「To Pianists」を選んだところにも、同じ耳の眼差しは働いているように思う。e-bowによるのだろうか空間に滲みを拡げる強靭な持続音と、ワニ口クリップ等の素材によるプリペアドを想像させる足元が傾くような低音の揺らぎに、各種内部奏法や筐体各部を鳴らす音響が細かな傷を付けていく。共演/対決が前提としている2台のピアノ、2人のピアニストという輪郭を脱ぎ捨てた、自他未分の曖昧で薄暗い混合領域に向けて、全身の皮膚感覚がそばだてられているのがひしひしと感じられる。カヴァーの絵柄に描かれている2台のピアノから流出するエクトプラズム(?)が混じり合う位相に。グランドピアノの降霊術。
  

 Miya Masaoka, Zeena Parkins, Myra Melford『MZM』(Infrequent Seams)もまた、ピアノを「一人オーケストラ」たる「楽器の王様」の地位から引き摺り下ろし、21弦箏とハープの間に放り込んで、「枠組みに長い弦を何本も張り巡らせた弦打楽器」という自らの生理/出自に目覚めさせる試みととらえたい。弦を直接こする音の応酬となる中でも、箏のゴツゴツとしたマテリアルな輪郭を持つ響き、ハープのエレクトロニクスに変形/溶解された流体的な滑らかさ、プリペアドによりトイ・ピアノを思わせる愛らしく優美な天上的な希薄さを獲得したピアノが、それぞれ浮上と潜行を繰り返し、「奥行きを探る構え」(多田)を見せる。


 本編の締めくくりはエクストラ・トラック的にヴォイスをフューチャーしたJen Shyu『Song of Silver Geese』(Pi Recording)。Mat Maneriのヴィオラが笙の如く鳴り響き、フルートが竹の掠れを帯びて、東アジアの民族楽器を擬態しつつ、呪術的ヴォイスの周囲を取り巻く。しかし、アンサンブルの要はここぞという経絡に正確に鍼を打ち込み、揺らぎ広がる時の流れをピッと引き締めるThomas Morganのベースにほかなるまい。台湾と東ティモールにルーツを持ち、東アジア圏でのフィールドワークで得た素材を活用して、NYで活動する彼女については、その学究的な姿勢は高く評価するものの、「アジア系の出自(しかも女性)を持つが故に、(西欧)世界の中心たるNYにおいて、アジアの文化を特権的に発信し得る」‥‥というポリティカル・コレクトネスを誰にも対抗し得ない「伝家の宝刀」として背負っているように感じられて、黒人文化に関するMatana Roberts同様、どうにも居心地の悪さを感じてしまうことを白状しておこう。



 この日は7年目の締めくくりとあって、2017年のベスト10があわせて発表された。そのラインナップについては益子のページ(※)をご覧いただくとして、選出作品を振り返りながら益子が何度も漏らしていた「長く聴かないとわからない」というつぶやきを書き留めておきたい。これは作品/演奏の価値を示す、聴き取るべきポイントが、ちょっと聴けばわかるようなサウンドの新奇さ、スタイルの斬新さ、新たな演奏技術や語法、アンサンブルの組織や統御のシステムにはもはや存在せず、一定程度の持続に注視し続けて初めて感得し得る領域へ移行していることを示している。そこで進行しているのは、音響の淵に深く身を沈め、空間の隅々にまで感覚を張り巡らせ、しかも時間経路に沿って絶え間なく微積分を繰り返えさなくてはとらえ得ない事態なのだ。30秒あるいは1分の試聴で耳目を惹き付け、すぐにわかるように下線を引かれた特質をさらに経歴や人脈やトレンドにひも付けして、これでもかと貧しく記号化してやまない「音楽ジャーナリズム」と彼らが鋭く一線を画するのは、まさにこうした必然的な相違の結果であって、海外事情通のエリート主義やマニアックなオタク気質の産物ではないことを何度でも確認しておきたい。そしてそれこそが、私にとって「タダマス」に毎回通う理由になっていることを。
※http://gekkasha.jugem.jp/?cid=43767


益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 28
2018年1月28日(日)
綜合藝術茶房 喫茶茶会記(新宿区大京町2-4 1F)
ホスト:益子博之・多田雅範
ゲスト:加藤一平(ギター奏者)


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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 19:30:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
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