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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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馬の毛の弦の手触りを通じて深淵へと沈み、古代へと遡る - Rhodri Davies『Telyn Rawn』ディスク・レヴュー  Diving into the Depth through the Touch of Horse Hair Strings, and Going Back to Ancient Times - Disk Review for Rhodri Davies "Telyn Rawn"
 英国ウェールズのハープ奏者ロードリ・デイヴィスから新作CD『Telyn Rawn』(AMGEN001)が届いた。LP4枚組の前作『Pedwar』が、これまで彼が制作したソロ三作品に新作を加えることにより、彼の演奏するハープという数多くの部品・部材を組み合わせた複雑な機構を持つ楽器を四つの異なる視点から解剖/分析し、それらを立体的に再構築してみせるという、これまでの活動の集大成と呼ぶにふさわしい大作だったのに対し、続く本作は、少なくとも13世紀まで起源を遡り得る失われた古楽器Telyn Rawnを再現し、これを用いて即興演奏を行うという「時を遡る」ものとなっている。
 彼の作業は、もはや現物の残存しないTelyn Rawnを復元することから始められる。Telyn Rawnによる演奏を詠った詩文をはじめ古文献を参照し、博物館に保存されている関連楽器を調査し、材料を調達し、組み上げられる職人や業者を探す。本作に収められたブックレットには、木枠の表面に革を貼り、馬の毛を弦として張った復元楽器の各部の写真が掲載されている。

Rhodri Davies『Telyn Rawn』カヴァー表


 しかし、楽器の形が復元されたとして、それだけで楽器に息が吹き込まれるわけではない。その演奏法やサウンドが記録されているわけではないからだ。デイヴィスはリーフレットの解説で「当時のヴァナキュラーで即興により生み出された音楽は、教会に関わる聖なるものでも、宮廷に関わる高貴なものでもなかったがために失われた。いつの時代でも、即興による普通でなく正統的でもない音楽はたやすく消え失せてしまう。もちろんそれが即興演奏の本性ではあるのだが。」と述べている。
 国立劇場の木戸敏郎の推進する古代楽器の復元に参加した高橋悠治は、この経験を「音楽のイコン性をかんがえるためのよいきっかけだった」と評価し、「ここで音楽のイコン性というのは、演奏者と楽器の身体的なかかわりによって伝統的につくりだされ、了解されてきた時間的・空間的形態の『意味』の体系、自然・文化・世界観を参照する多層的な象徴やメタファーとしてのはたらきを指す。」と述べている。彼によれば「楽器だけを復元しても、その音楽は記録されていない。しかし、楽器の寸法や構造から、その楽器に対していた演奏者の身体の姿勢や、最も自然な手のつかいかたが、ジクゾー・パズルのように浮かび上がってくる。」
 たとえば高橋は「畝火山」の作曲の対象とした復元五絃琴について、次のように観察と想像を積み重ねている。
 「首部が薄いので琴のように床にたいらに置くものとは思えない。五絃琴は楽器の分類名であり、当時の名称、用途、奏法は不明。古文献にある筑に似ているが、岳山が低く、筑のように竹棒で打つことはできない。(中略)絃の間隔が狭いので、指ではじけないし、絃の上を指で押さえて音程を変えることも自由にはできない。そこで、水牛の角の長いピックで開放絃をはじくことにする。これなら、楽器を垂直に立ててもいいし、抱えても、床から首部だけを引き起こしても演奏できる。」

 本作の録音に当たり、デイヴィスはメロディやリズム等の素材を事前には一切用意せずに、スタジオでの即興演奏に臨んだという。その一方で「長く忘れられていた楽器を形にし、組み立てたこと、襞をつけ巻き付けられた馬の毛の弦をいろいろ試してみたこと、古文献や古詩と格闘したこと、残された手稿から演奏技術や音楽を学んだこと、ウェールズ文化における馬や馬崇拝の重要性について調査し、地域の民俗的な会合に参加したことが形を成したのだ」と述べている。
 訳文の「襞をつけ巻き付けられた馬の毛の弦をいろいろ試してみたこと」という箇所が、いささか意味がわかりにくくて申し訳ないが、原文は「experimenting with wound and pleated horse hair strings」である。馬の毛(必要な長さからして、たてがみではなく尻尾の毛であろう)を弦に仕立てるに当たり、その紡ぎ方・撚り方を様々に変えながら、実際に試奏してみたということではないか。馬の毛は弦楽器の弓に用いられるが、弦と弓の触れ合う/噛み合う程度に関し、grab(掴む)とbite(噛む)という対比があると聞く。ここでデイヴィスは、馬の毛の紡ぎ方・撚り方をいろいろと試しながら、楽器を奏でる手指や音具との触れ合いの具合を詰めていったのだろう。
 ニュートラルに洗練された現代素材と異なり、ここで試された馬の毛の弦は、強い癖を持ち、たとえば手指の動きの速度、弦にアクセスする向きや角度、圧力、振幅等に対し、ごく狭い範囲でしか受け付けないのではないかと想像される。いろいろと弦を試し、楽器との対話を続ける中から、それに見合った手指の動きが生み出されてくる。水の比重や粘度の違いによって、泳ぐ身体の動きが自ずと変化するように、試している弦の特質が、「演奏する身体」の動きをかたちづくり、積み上げていく。選ばれた藁の材質が、草鞋の網目の大きさを決めていくように。

 高橋が「ジクゾー・パズル」を解いていったのと、まさに同様の作業の積み重ねがそこにはある。デイヴィスはただ自分の即興演奏語法を、古代楽器のレプリカに適用したのではない。忘れられていた楽器の中に層を成して堆積している演奏の記憶へと身を沈め、楽器とこれを奏でる手指の接触を通じて、この記憶が豊かに湧き出る井戸を掘り上げたのだ。
 さらに、この古楽器Telyn Rawnの復元に当たっては、楽器自体の設計をデイヴィス自身が行ったというから、おそらくは幾つもの試作品が作られ、試し弾きを繰り返しながら、デザインが詰められていくのと同時に、この「接触」を通じて、演奏の姿勢、身体の動き、音具、奏法等が明確化していったと思われる。そうした楽器との細やかにして濃密な「交感」の様子を、ここに収められた演奏から確実に聴き取ることができる。

Rhodri Davies『Telyn Rawn』カヴァー裏


 冒頭曲を聴いてみよう。空間に溶けていく滑らかな透明さではなく、不透明なあくを浮かべたがさがさとした手触り。ハープというより、琵琶やリュートを思わせる硬質な搔き鳴らしが、楽器と演奏者の身体の距離を測り、同期を促すように続けられる。繰り返しは緩やかに解けて、箏を思わせる弦のしなりを響かせながら、しばし東洋音階に遊ぶ。そうした当ての無いさまよい感覚は次曲へと引き継がれ、今度は中国の古琴の響きを探る。巡らす思いに深く沈んでいくような瞑想的気分から、再び速い搔き鳴らしへと移行するや、爪や指の弦への当たり方を変えているのだろうか、響く音/響かない音が裏表に入り混じりながら、演奏は走る馬の速度を一気に獲得していく。間隔が異なる飛び石を駆け抜けるような微妙な不揃い感覚が、ギャロップの生々しさをいや増している(ギターのカッティングのコヒーレントな整列感と比べてみること)。
 弦が弓で弾かれる三曲目ではフィドル様の音色が前景化するが、その背後にはキュルキュルと鳴り続ける別種の摩擦音が伴い続ける。こうした不均衡や不随意運動は、四曲目・五曲目で披露される、楽器の限界を試すような高速の繰り返しにおいても、顕著に現れる。一音一音の輪郭を明らかにし、軌跡が星座の如くに張り詰めた弧を描く「響く音」と、滲むようにおぼろに溶け合って群れを成し、渦を巻く「響かない音」が、水墨画的な風景/遠近の対比をかたちづくる。それは言わば響きの「粒の揃わなさ」であるのだが、ソロでありながら複数のヴォイスが呼び交す豊かさを生み出している。
 六曲目で、こうした繰り返しはほとんどミニマル・ミュージックと言ってよいほどの簡素な定型に至るが、そこでもケルティック・ハープと箏と親指ピアノが同時に鳴り響いているかのような音色スペクトルの厚みとアンサンブルの豊かさが味わえる。七曲目では弓弾きによりやはりミニマルな繰り返しが急速調で奏でられるが、こちらではたちのぼる倍音が、もうひとつのリズムを息づかせていく。八曲目において、演奏の流れは、それまでと打って変わって静謐さを取り戻す。しかし、そこで厳かに彫琢されたメロディを支えているのは、やはり響く音と響かない音の呼び交しがつくりだす交響にほかならない。

 このように記述していくと、事前の奏法や速度の選定/限定が、インスタント・コンポジションとして、演奏の枠組みをかたちづくっているように見えるかもしれない。私自身、前作『Pedwar』のディスク・レヴューで、収められた四作品が、各々ある種の限定を自らに課しており、そのことがこの集成において「ハープの四つの側面」を提示する事に結実していると述べてもいる。だが、それは誤解だ。順に説明していこう。
 『Pedwar』においては、豊かな残響を持つ教会の礼拝堂とスタジオ、アコースティックとエレクトリックといった環境や楽器の違いが作品ごとにあり、デイヴィスはこの違いにしなやかに反応して、それぞれの演奏をかたちづくっていた。すなわち、「限定」の内実は事前の恣意的な選定ではなく、与えられた演奏環境に対し、「演奏する身体」を適切にチューニングした事後的な結果にほかならない。
 それでは今回の『Telyn Rawn』ではどうか。前述の「限定」は、本作品において、同じ録音環境、同じ楽器であるにもかかわらず、複数(少なくとも三つ以上)に及んでいる。やはり、これはインスタント・コンポジションなのだろうか。それを考えるには、現代楽器によるフリー・インプロヴィゼーションと、今回『Telyn Rawn』で試みられた失われた古楽器の復元作業との違いを見ていかなければならない。

 後者が高橋の言う「ジグゾー・パズル」の結果である事は先に述べた。一方、前者においても、そうした「ジグゾー・パズル」を設定することは、もちろん不可能ではない。しかし、その許された範囲の広さが圧倒的に違う。
 前者、すなわちフリー・インプロヴィゼーションは、見渡す限り水平で平らかな、しかもその単一性をどこまでも拡張し得る、言わば無限の広さを持つ平面上での自由滑走である。そこでは総てがあらかじめ許されている。それゆえ文字通り演奏平面を拡張する「エクステンデッド・テクニック」が、新たな活動領域、新たな自由をもたらすものとして尊ばれもするが、ひとたび領域が拡大されてしまえば、それは既存平面と同じ単一さに還元されてしまう。「エクステンデッド・テクニック」を駆使して演奏するならば、それだけで演奏が価値を持つかのように思うのは単なる誤解に過ぎない。
 これに対し後者においては、活動を許された「平面」はごく狭く、その猫の額ほどの「平面」ですら決して平らでも滑らかでもなく、デコボコ道や急斜面、がれ場や沢渡りの連続である。これらを踏破することのできる、環境に即した演奏、すなわち弦と手指あるいは音具の動きがかたちづくることのできる「カップリング」は極めて限られており、決して恣意的な選択がそのまま成就するわけではない。デイヴィスはその在処を鋭敏に探し当て、渡り歩いているのだ。深い山中で、素人にはまるで見分けの着かぬ「けもの道」を、的確に見つけ出しながら歩みを進める猟師のように。
 にもかかわらず、それを事前の恣意的な選択とみなしてしまうのは、生物の進化を「○○をするためにこうなった」と目的論的に説明して止まない、愚かな生物学者たちと同じ倒錯を犯すことになる。

Rhodri Davies『Telyn Rawn』リーフレットより


 本作で特に興味深いのは、そうした「けもの道」の発見による即興演奏が、聴き手にケルティック・ハープはもとより、日本の箏や中国の古琴、琵琶やリュート、フィドルや親指ピアノなど、世界各地の民族楽器の響きを思い起こさせることだ。決して古代ウェールズの幻想を結ばせるわけではない。すなわち、ここで古楽器の復元を通じて時を遡ることは、単一の起源を目指すことを意味しない。
 『Pedwar』のディスク・レヴューでは、添えられたデヴッド・トゥープによるエッセーがハープの起源への遡りを安直に論じている点を指摘し、その安易さを批判しておいたのだが、今回のロードリ・デイヴィスの試みは、トゥープの提案に一見従いながら、それを遥かに出し抜いていると言えよう。

 私としては、楽器をはじめとする演奏環境との交感において、彼のとびきりの鋭敏さが戻ってきたことを何より喜びたい。というのは、2015年のFtarriフェスティヴァルのために来日した際の彼の演奏が、ひとつは自身によるコンポジションの演奏で、各演奏者がひっきりなしにアクションを繰り出し続けねばならない忙しないものだったことを割り引いても、ずいぶんと粗雑でやりっ放しのように感じられたからである。
 それ以前の2004年の来日時に原美術館で聴いたライヴ(ジョン・ブッチャーとのデュオ)では、相手の動作にすぐさま動作を投げ返すようなLEDのチカチカした点滅にも似た身体反応の応酬を離れ、かと言って徒らに長い休止を挿み、音を出し惜しみすることにより、演奏を何やら目新しい貴重なものと粉飾する当時の流行(今となっては信じられないことだが、当時、彼は、我が国でもてはやされていたそうした演奏傾向の英国支局員でもあるかのように喧伝されていた)にも流されず、切り開いた組織の変容/特徴を注視しながら、慎重に次なる器具に手を伸ばす検死解剖医といった様子で、ハープに音具を押し付けていたことを、よく覚えている。一文字一文字指で触れながら点字を読み進めるような演奏との印象が残っている。

 なお、彼については、メンバーとして参加しているCommon Objectsでの演奏も、また素晴らしいものであることを付記しておきたい。
フタリ9
Rhodri Davies『Pedwar』


文中の高橋悠治の発言は、CD『高橋悠治リアルタイム6 鳥の遊び』(Fontec FOCD3191)付属のライナーノーツから引用しました。

ロードリ・デイヴィスの前作『Pedwar』については、『耳の枠はずし』でレヴューしています。以下を参照してください。
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-354.html
ハープの4つの側面 − Rhodri Davies『Pedwar』ディスク・レヴュー  Four Facets of Harp − Disk Review for Rhodri Davies "Pedwar"

Common Objectsのディスコグラフィについては以下のURLを参照してください。
https://www.discogs.com/ja/artist/3410861-Common-Objects
以下のURLでCommon Objectsの各作品の一部を試聴できます。
https://mikroton.bandcamp.com/album/live-in-morden-tower
https://anothertimbre.bandcamp.com/album/common-objects-whitewashed-with-lines
https://www.ftarri.com/meenna/980/index-j.html


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ディスク・レヴュー | 18:14:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
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