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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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声だけが連れていってくれる場所 ―― 浮(ぶい)ライヴ・レヴュー  The Place Only Voice Can Take Us To ―― Live Review of Female SSW "Buoy " (Misa Yoneyama)
1.湧き出す声
 水底の白砂を音もなく巻き上げて滾々と湧き出す声がなだらかに広がり、その筆先がどこまでもなめらかに滑っていく。これは「船」の声だと思う。中空をはらはらと気紛れに舞うのではなく、人や荷を載せた深い喫水を水平に保ちながら、自らを浮かべている暗い水を波立てずにまっすぐに押していく声の力。私はそのような声の様態があり得ることを大工哲弘から学んだ。
 ふと線の流れが緩み、声がふうわりと舞い降りて、穂先から滲みが広がり、辺りへと染み渡っていく。そのとき聴き手は、ぐるり一面の景色の中にひとり立たされていることに気づく。それは必ずしも歌詞の描き出す情景ではないし、歌っている彼女自身の心象風景でもない。言語以前の記憶にも似たおぼろな輪郭の揺れる、声だけが連れていける世界。だから、ここで浮かぶ景色は聴き手一人ひとりで異なっていることだろう。だが、そこにはどこか相通ずる切なさ、暖かさ、甘やかさ、息苦しさ、鼓動の高鳴り、居たたまれなさ、懐かしさ、脆く崩れ去りそうな不安が満ち満ちているに違いあるまい。忘れ難いはずなのに、ずっと忘れていた匂いのたちこめる場所。涙が流れこそしないものの、体内の水位がぐーっと上昇してくるのがわかる。


2.浮 with高岡大祐、桜井芳樹@Soul玉TOKYO
 浮(ぶい)のことを知ったのは、高岡大祐のFacebook投稿だった。そこには関西ツアーの客席にたまたま彼女が来ているのを見つけ、ステージに上げて歌ってもらったとあり、その歌の素晴らしさについて記されていた。彼女のことはそれまで全く知らなかったから、きっと関西圏で活動するアーティストなのだろうと想像した(刷り込み1)。ウェブで検索すると、ライヴ映像が見つかった。琉球民謡的な旋律や声の運び。深く静かな息遣いがゆったりとした時の流れを連れてくる。昨今の民謡やR&B系歌手によく見られる高速の小節回しやヴィブラートをこれ見よがしに鮮やかに決める、4回転ジャンプを無表情で飛ぶフィギア・スケーターにも似たロボット的なステレオタイプは、ここには微塵もなかった。おそらくは奄美や沖縄、あるいはもっと西の島々の出身なのだろうと思った(刷り込み2)。

 その後、思いがけぬタイミングで、彼女が祖師ケ谷大蔵ムリウイでライヴをする(まだ僅かに空席がある)との情報が飛び込んできた。東京で聴ける貴重な機会と思ったが、すでにその日は先約が入っていて泣く泣くあきらめた。こうして彼女との初めての出会いは、2022年3月24日の阿佐ヶ谷Soul玉TOKYOにおける高岡大祐、桜井芳樹との共演となった。

 「いやあ、最近は歌い手っていうか、声といっしょに演奏するのが、即興演奏同様面白いんですよ。決して歌伴って感じじゃなくて」と私の顔を見て高岡が言った。私が高岡のFacebook投稿で彼女を知り聴いてみたいと思ったことを話すと、「彼女は最近、ものすごく地方から声がかかるようになってきて、なかなか帰ってこれなから、東京でのライヴの機会は貴重ですよ」と言う。どうも話がおかしい。訊くと彼女は沖縄出身などではなく、こちらの出身で活動の拠点も関西圏ではなく、本来は東京なのだと言う。関西ツアーの客席にたまたま来ていたっていうから、あっちで活動している人なのかなと思ったと話すと、いやあ、何だか知らないけどそう思ってる人が多いみたいですね‥‥と。いや、そりゃ絶対アンタの記事のせいだって(笑)。

 ライヴは彼女がガット・ギターを弾きながら自作曲を歌い、それに二人が即興的に絡む仕方で進められた。ギター演奏はひとりで歌うようになってから始めたとのことなので、まだ日は浅いはずだが、フィンガー・ピッキングの演奏に危なっかしさはない。むしろ、通常のギター弾き語りよりはるかに、声とギターは不即不離の関係にある。
 声の速度が揺らぐ時、ギターの刻むリズム/テンポは一定のままで声だけが速く/遅くなるのではなく、同じ一つの身体を共有している。それゆえに声とギターの間に他が入り込むことは難しい。ジャズやロックの演奏で通常行われているように、ヴォーカリストが歌いながら弾くギター(主としてアルペジオやリズム・カッティング)がドラムやベースの保つグループ全体のリズムと安定的に同期していて、その上で声が勢い良くつんのめったり(速くなったり)、後ろにもたれかかったり(遅くなったり)するのであれば、サックスやリード・ギターによる演奏は、同じリズムの土台を踏みしめながら、音を揺らしつつ声と絡んでいけばよいわけだが、ここにそのスペースは与えられていない。
 その結果、二人の演奏はリズムをなぞり補強するか、あるいは持続音で色づけを施すものとなる。それでも高岡は汽笛のように響く息音を放ち、トロンボーンに似た音色でオブリガートを施し、薄くたなびく響きで遠くを眺めやるようなメロディアスなソロを奏でた。弦が違うとは言え、同じ生ギターを奏でる桜井は対応が難しい。たとえば「愛が生まれる」では、曲間のソロも彼女が取るので、もう一本のギターはますます立ち位置が限られることになる。

 対して「線路の上で」のような琉球民謡的な要素がなく、より「フォーク・ソング」的なメロディを持つ曲では、そこに広がるアーリー・アメリカンな音世界を活かして、スライド・ギターを奏でるなど様々な工夫を図る余地がある。
 こうした曲においても、やはり声がふっと遅くなる瞬間がある。もともと蒸気機関車をイメージしたのではないかと思われるこの曲では、上り坂、下り坂、右へ左へのカーヴと地形/起伏の変化に合わせて機関車のストロークが移り変わっていくような微妙な速度の変化が心地よいリズムの揺れをつくっているのだが、その振幅を超えて声がぐっと遅くなり、昇りのエレヴェーターが目的階に停止する直前にも似た、身体が放り出されるような浮遊感が生じる瞬間が訪れるのだ。琉球風の曲では、それでも濡れたような被膜を崩さなかった声が、この瞬間ばかりは被膜が破れて複数の声に分裂を遂げる。決して破綻するのではない。どこか賛美歌を思わせる旋律(基本的に「フォーク・ソング」はみんなそうだが)が合唱的な複数の声を内包した響きへと弾けるのだ。合衆国で古くから歌われていた聖歌合唱「セイクリッド・ハープ」を思い浮かべてもらうのがよいだろう。歌い手たちが壇上に並ぶのではなく、演壇の前、参列者たちの座る椅子の列の前で小さな円陣を組み、互いの声をぶつけ合わせるようにしてたちのぼらせる響き。上澄みを溶け合わせるのではない、洗いざらしのハーモニーや多声の絡み合いは、ゴスペルやニューオリンズ音楽にも通じ、その後、合衆国で生み出される様々な音楽の主要な源泉の一つとなっていく。
 たとえばジョン・ケージが合衆国建国二百年祭に際して委嘱を受け作曲した「44 Harmonies From Apartment House 1776」は、この国の音楽の主要な源泉として、セイクリッド・ハープ(の基となった作曲音楽)、ネイティヴ・アメリカンの儀式音楽、黒人霊歌、ジューイッシュによるセファルディ音楽の四つを選び出し、これらの組合せによりかたちづくられている。
 アーリー・ジャズやニューオリンズ音楽を心より愛し、繰り返し演奏してきた二人が、こうした匂いに反応しないわけがない。「水を得た魚」と言うべき、とても活き活きとした姿を見せてくれた。この後も、ニューオリンズ風やラグタイム風の楽曲が聴かれた。彼女の中のフォーキーな要素が、そちらの方向でぐいっと引き出されたとの印象を覚えた。

 こうして聴き進めていくと、彼女の音楽が声の立ち居振る舞いで出来ていて、それを自身のギター演奏がしっかりと深く支えている様が浮かんでくる。逆に言えば、言葉が先には来ない。声が立ち上がり、響きが広がって、情景が浮かんだ後に、追いかけてきた言葉の意味が像を結び始め、歌詞の連なりとなってこれらを裏打ちする。
 もちろんうたをつくる作業プロセスとしては、先に語による情景イメージがあったり、幾つかの言葉が手元に集められることもあるだろう。しかし、歌われる現場にあっては、言葉の意味は後から遅れてやってくる。これはCDの録音で聴いても基本的に変わらない(ライヴの方が、より声が先に来る感じはあるが)。
 作詞の提供からスタートしたという事情もあろうが、池間由布子においては紡がれる言葉、声による語りが先に来るのと著しい対照を成している(どちらもとびきり素晴らしい歌い手であるだけに、この違いは深く印象に残った)。
浮・桜井・高岡縮小


3.浮と港(ぶいとみなと)+白と枝@なってるハウス
 浮が服部将典(cb)、藤巻鉄郎(dr)と結成したトリオ編成のバンドによる演奏。一部、女性SSW「白と枝」がコーラスで参加した(彼女のソロCDも透明感溢れる秀作。浮とは「ゆうれい」というデュオでも活動しているそうだ)。実はこの二週間ほど前にも、このトリオのライヴ演奏を聴いたのだが、初めての場所で座る席を間違えたか、距離は割と近いのに片側のPAの音しか聞こえず、ラジオに片耳を当てて聴いているようだったので改めて再挑戦。

 喉の調子を気にしていたようだったが、彼女の「声の身のこなし」の比類ない魅力、すなわち身体を上下させることなくすっすっと歩む安定した足さばき、重心の移動の滑らかさ、バレリーナやフィギュア・スケーターが腕を高く上げる時に肘を伸ばしきらぬように(その方が力が抜けて、身体の線が美しく見える)時にあえて上がりきらぬ音程、そして何よりも声の速度が急に緩み深さを増して、知らぬ間に淵に踏み込んで川底に足が着かなくなった瞬間を思わせる一瞬に噴き出す底知れぬ甘美さ等は基本的に変わることがない。

 彼女の場合、MCで曲名を告げる場合もあるとは言え、最近のライヴのレパートリーのうちCDに録音された曲がまだ少なく、また、新曲もどんどん増えているようなので曲名を挙げてコメントできる部分が少ないのだが、たとえば前回も演奏された「線路の上で」を採りあげて前回の演奏との比較をしてみよう。今回はギター弾き語りで始まり、途中からリズム隊が加わってテンポが速まり、さらにハイハットとバスドラが列車の走行音(線路の響き)風のリズム・リフを刻み、ギターのリズム・リフにはカウベルがシンコペーションを施す。かと言って、刻み続けるリズム、敷かれた線路の上をそのまま定速で声が走り続けるわけではない。前回同様、ふっと聴き手を放り出すように減速し時が深まる瞬間が何度か訪れるのだが、耳をそばだて鋭敏に対応するリズム隊の貢献もあって、ここで解き放たれる声の複数性は、前回よりさらにはっきり聴き取れたように思う。
 それ以外にも、ブラシの使用やシンバル三枚を使い分けた繊細なシンバル・ワーク(弓弾きを含む)が声の浮き漂う感触をしっかりと支える場面、イントロにバロック風のコントラバスの弓弾きが配され、途中、何度も微妙にテンポを変えながら、最後、くるくるとコマが回るように曲を終える場面など、グループ演奏ならではの手応えを感じることができた。声の抑揚、速度の微妙な変化に寄り添うだけでなく、多彩な音色をどう使い分けるかに気を配っていたと思う。やはり、声とギターの結びつきは強固であり、そこにフレージングで割って入ることが難しい以上、リズム・ワークを中心に音色を使い分けて全体のサウンドを彫琢していくというのは、あるべき方向性だと思う。

 その一方で、池間由布子(何度も彼女を引き合いに出してしまうのは、浮への私の評価/期待の高さのせいである)がバックバンド「無労村」を従えたCD『My Landscapes』で、これまでのギター弾き語りから遂げたような大きな変貌は、彼女にはまだ見られないように思う。今後、「浮と港」でのCD録音も予定されていると言うから、そうした機会を経て、ソロとは異なるトリオでのみ可能な新たな音世界へと更に飛躍していくことを楽しみに待つこととしたい。
浮と港ちらし縮小


2022年3月24日 阿佐ヶ谷Soul玉TOKYO
 浮(vo,ac-g)、桜井芳樹(ac-g)、高岡大祐(tuba)

2022年4月29日 入谷なってるハウス
 浮と港+白と枝
  浮(vo,ac-g)、服部将典(cb)、藤巻鉄郎(dr)、白と枝(chorus)

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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 19:37:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
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