fc2ブログ
 
■プロフィール

福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリ
■リンク
■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

行動のネットワークとしての曼荼羅 ―― 田内万里夫個展レヴュー(高岡大祐ソロ・ライヴを含む)  Mandala As Network of Action ―― Review of Mario Tauchi Exhibition (including Daysuke Takaoka Solo Performance)
1.オーガニックなイメージ
 日比谷駅のA3出口の階段を上がると、自動車がひっきりなしに往来する大通りとはまったく異なる景色が右手に開ける。段差のない広い歩道スペース、整えられた街路樹、落ち着いたオープンカフェ‥‥。高い建物が両側に続くので、強い日ざしに直接晒されないのも、この時間帯にはありがたい。オープンカフェと小道を挟んだ向かい、ホテル「ザ・ペニンシュラ東京」から対角線に眺め下ろされる角に目指すギャラリーはあった。道路に面した二面の膝の高さから頭の上までがガラス張り。そこに絵が描かれている。
 オープンカフェに面した側は白い線で、メイン道路に面した側は視線の角度によって色合いの変わる不思議な線で(何と出入口のドアにまで)、それぞれ後述する「マリオ曼荼羅」が描かれている。壁に飾られた白い紙に描かれたドローイングも、PCモニタで流されている動画で制作中の様子が紹介されている壁画も、装画を担当した書籍をかざるのも、奥まった控え室スペースに飾られたより判の小さいドローイングも、貼られた写真に写る服飾や店舗のデザインも、すべて同様の「図像」が描かれている。
マリオカフェ福島1縮小

カッティングシート3縮小
 写真:田内万里夫

 一定の太さの筆致を感じさせない線。直線的とか幾何学的から限りなく遠い線の軌跡。細密に描き込まれながら、息苦しさを感じさせないユーモラスな伸びやかさ。だが、そうした線の印象より先に、描かれた「図像」の特異さが迫ってくる。消化器官の粘膜の顕微鏡写真? 脳内でドーパミンをやりとりするレセプター? 古代の海を席巻した腔腸動物の群生? ペイズリー柄のサイケデリックな増殖? ‥‥‥???
 中央が円く窪んだ柔らかな突起。そこを出入りしたり、あるいは宙空に浮かぶ幾つもの小さな球体。その周囲に広がる飛沫か分裂体のような細かい球体。絡み合うひも状のもの。表面はイソギンチャクやウミウシ(=腔腸動物)を思わせる白水玉模様で覆われていたり、そのまま白く残されていたりするが、いずれの場合もぬらりとした粘液層で覆われているように感じられる。
 料理人をしているという方に「これは貝ですか」と尋ねられました‥‥と田内。確かに貝の水管や肝、あるいはホヤに似た形態も見られる。「うどん」と言われたこともありますね。まあ、オーガニックなイメージであることは確かです‥‥と。


2.隣接性と曼荼羅
 これは、この後、ギャラリー内で演奏するために来ていた高岡大祐に教えてもらったのだが(と言うか、そもそもこの展覧会自体、高岡のライヴ告知で知ったのだった)、ドローイングは広げた紙のどこかに小さな○を描くことから始め、休みなく即興でどんどん描いていって、一気に完成させてしまうのだと言う。そう言われると、「隣接性」の原理に基づいて線が自らを構築していく様子が浮かんでくる。「隣接性」ということは「間隔化」ということでもあって、〈非〉接触であり〈非〉交差にほかならない。そう思ってドローイングを見直すと、卵(あるいは胞子)が孔から放出されるかの場面でも、ひも状の組織が絡まりあっている場面でも、そこにはしかるべき距離/空間があって、窮屈に密着することがない。そのことが「表面がぬらりとした粘液で覆われている」印象を与えるのだろう。
 もうひとつここで指摘しておきたいのは、ドローイングが不思議な奥行きを有していることだ。図像が重なる部分があって、なおかつ接触/交差していないのだから、当然そこには前後の隔たりがある。ジャクソン・ポロックJackson Pollockの作品ではポワリング/ドリッピングによる線の交錯が、その厚みのない重なりによって「浅い奥行き」を生み出すとされているが、田内のドローイングでは形態が描かれているから、奥行きは厚みのある「モノ」と「モノ」の重なりとして感得される。陰影も遠近法的な構図も排され、描線が一様で細部も文様的な描かれ方をされているにもかかわらず、決して平面的ではない。宙空に浮かんでいる球(そもそも、これが「円」に見えない時点で空間的と言うほかはないが)は、天体写真に写り込んでいるはるか遠くの星雲のようにも見え、手前にあるのか、奥にあるのかわからない。

 このことは田内が自ら標榜する「曼荼羅」と彼の作品自体の関係を考える上でも重要ではないだろうか。田内は「曼荼羅」というのが、特に西欧世界において、自らのドローイングを取っ付きやすくする「接点」をもたらす語であり、また言葉を通じて情報を流通しやすくするものであると話していた。C.G.ユングCarl Gustav Jungによる曼荼羅理解がそのベースになっているとも。その一方で、自分の作品や制作行為があまりにも仏教に引き付けられて解釈/理解されてしまうことに対する懸念も述べていた。
 無意識の奥底深くから浮かび上がる共通図式(個人的には不定形の流動が束の間かたちづくる平衡/均衡のかたち/構造ととらえたいところだ)という、ユングの曼荼羅のイメージは、彼の唱える集合無意識とも深く関わるものであり、田内の描くオーガニックな形象と確かに響き合うところがある。しかし、その一方で、金剛界曼荼羅とか胎蔵界曼荼羅といった稠密かつ幾何学的な平面配置と田内のドローイングは、ほとんど対極にあると言ってよいほどかけ離れていることに注意したい(球、トーラス、四角錐というあからさまに密教的なシンボルをカラー図版で刷り込んだものや、実在しない漢字(を連想させる形象)を鮮やかな朱色で配した作品もあるが、「マリオ曼荼羅」自体の性質がそれらによって大きく変化するわけではない)。
金剛界縮小 胎蔵界縮小
左:金剛界曼荼羅  右:胎蔵界曼荼羅  いずれも奈良国立博物館蔵

 田内とは異なる曼荼羅的なドローイングの一例として、いささか極端なケースではあるが、アール・ブリュット作家として知られるアドルフ・ヴェルフリAdolf Wölfliの作品を掲げておこう。こうした空間恐怖、強迫的反復、空間の分割に継ぐ分割は、田内の作品にはまったく見られない。ここで作品は、いや、あらゆる線と形象は、平面の中にギュウギュウに閉じ込められ窒息している。
ヴェルフリ1縮小

 やはり自らを平面性の中に限定している点で、ダニエル・リベスキンドDaniel Libeskindの建築ドローイング『マイクロメガスMicromegas』(1979年)も見ておきたい。その後、ベルリンのユダヤ博物館の設計(1988年にコンペ当選)やニューヨークの世界貿易センター跡地の再建計画コンペ(2002年)に当選したことで知られる彼の初期作品である、この「建築ドローイング」は実際には三次元化できず、建築物として成立しないばかりか、形象(と見えるもの)を縁取る輪郭線が閉じておらず、内部と外部が、凹部と凸部が入れ代わってしまう「だまし絵」的な性格を有している。彼自身はこのことについて、「ドローイングはある物体の影などではなく、また単なる線の集積でもなく、慣習という惰性的な力への盲従でもない。わたしの作品は、それに対してはいかなる(決定的な)言葉も与えられないような不十分さが知覚の核心にあることを表現しようとするのである。」と述べている。ディコンストラクティヴィストとしての面目躍如な発言ではあるが、その決定不能性は、ドローイング/絵画のメディウムとしての本質である平面性に、自らを注意深く限定することによってもたらされたものにほかなるまい。
マイクロメガス1縮小


3.行動の横断的ネットワーク
 それでは田内のドローイングは平面性から、メディウムの純粋性からどこへ向かって一歩を踏み出したのだろうか。ここで「参加と行動の横断的ネットワーク」という言葉が思い浮かぶ。「マリオ曼荼羅」に描かれているのは、脳内レセプターや腔腸動物を思わせる、すべてオーガニックな形象であるばかりでなく、それらが互いに連結し、相互作用する組織/環境であるからだ。そちらで卵が、種子が、胞子が産み落とされ、あちらでは絡み合う触手が捕食の準備を整え、こちらは今まさに脱皮して、あるいは宿主の皮膚を食い破って、新たな形態が流れ出そうとしている。いくつものサイクルが異なる周期で作動しながら重なり合っているようだ。
 さらに作品内に描かれた内容を超えたネットワークがある。JR高輪ゲートウェイ駅新設工事のフェンスを飾るパブリック・アートを手掛けた際の記録ヴィデオを見ると、彼は脚立を上り下りしながら、本当に下絵もなく、一定のスピードでどんどんと描いていく。下がって全景を捉え直すこともなく、ただただ腕の届く範囲にペンを走らせ、また位置を変えて描き続けていくのだ。その様子は葉の裏にびっしりと整列した卵を産みつけていく昆虫を思わせる。「オーガニックな増殖」は描かれた形象を超えて、彼の描く行為自体と結びついている。
 そうした「描く行為」は、展覧会用の作品の製作を超えて、彼が「Commission Works」と呼ぶ活動へとつながっていく。もちろんそれは単なる「請負仕事」ではない。小説本を装画し、料理店の店頭を飾る壁画を描き、阿波踊りの「連」の浴衣の図柄をデザインし、選挙の度に投票行動促進のポスターを制作する。これらがすべて相手に広く呼びかけ、内部へと招き入れ、参加と行動を促す活動であることは決して偶然ではあるまい。それらを貫いて「マリオ曼荼羅」が脈動し、増殖を続けていく。

 彼の初めて出版された作品が「曼荼羅ぬり絵」だったというのは何とも象徴的だ。線で囲まれた区画を塗り手が思い思いに塗りつぶしていく塗り絵は、「マリオ曼荼羅」の三次元的な構築(形象の立体としての連続性/前後配置/嵌入性)と幻惑的な奥行きを明らかにするとともに、塗り手の参加を必要不可欠のものとして促すからだ。
 所謂「コラボ」というのは、現在のアート・シーンではごくごく当たり前のことではないかと疑問に思われるかもしれない。確かにアーティスト同士の、あるいはそうした枠組みも超えた企業や社会団体、さらには一般市民とのコラボレーションは、いまや広く行われているだろう。しかし、それらは大抵の場合、マルチメディア的なマーケティング戦略の一環としてのキャラクターの流通、名前の権威を貸し借りしあうタイアップに過ぎない。だからこそ「コラボ」と三文字の略称/蔑称で呼ばれるのだ。田内の行ってきた「Commission Works」は、そうした「マリオ曼荼羅」のキャラクター商売ではない。「マリオ曼荼羅」が場に応じてその都度その都度つくり出されるものではなくなって、誰が見てもそれとわかり、見る前から固定的な意味あいや価値を担ってしまう「キャラクター」と化してしまうことを、彼は誰よりも怖れ、その危険を注意深く避けているように思う(この姿勢はバリー・シュワルツ『なぜ働くのか』(朝日出版社)を彼が翻訳していることと結びついているに違いない)。それが現場での即興的な制作にこだわる理由だろう。

 今回の展示でガラス面に制作された二作品も、会場を実際に下見したら、もともと商業スペースとして設計・施工されたということで、よくあるホワイト・キューブ仕立てではなく、道路に面する二面がショーウインドウ用にガラスになっていた。勿体ないのでガラス面を使えないかなと考えて、オープンカフェに面した方は、お店の人やお客さんが「おや、何だろう」と思ってくれるように、そちらに向けて絵を描くことにした(実際、外から見て読める向きで個展の案内表示がされている。ちなみにこの絵は会期中にどんどん描き足されている)。出入口のある方のガラスは、十年くらい前に展覧会を開いた時に、中川ケミカルっていう会社の方から「これってウチの会社の製品、カッティング・シートでできますよ」って耳打ちされたのを思い出して相談してみたら、「カッティング・シート」って名前自体がこの会社の商品名だった。セロテープとか、ホッチキスと同じ。それで、偏光性のある素材を使いました。いや〜、展示の準備が大変で。まずは全面にカッティング・シートを貼付けて、それから中を切り取っていくんだけど、貼るだけで会社から三人ぐらい職人さんが来て、こっちも手伝って、その後、中身の刳り抜きで。いや〜、本当に力尽きました(笑)。
 作品をすっと眺め渡すだけでも、紫、ピンク、オレンジ、緑、水色、青、黄等の色が見える。見る角度を変えると、また色が変わる。表面が超の鱗粉のような構造になっているのだろうか。反射と透過の両方がミックスされるわけで、夕方、陽が傾いてビルの隙間から西日が直接射し込むようになると、影までが色づいているのだ‥‥と、前日のリハーサル時に体験した高岡が教えてくれた。
カッティングシート1縮小 カッティングシート5縮小
 写真:高岡大祐
 この写真でも色あいが変化しているのがわかるが、肉眼ではもっと顕著。

マリオカフェ福島2縮小
 ドローイングの右端の部分が描き足されている。前掲の写真と比べていただきたい。

 アートよりも音楽の人たち、特にフリー・ジャズとか演っている人たちとどうも気が合うみたいで‥‥と話す田内は展覧会の2日目の8月10日、ファンカデリックのTシャツを着ていた。ブラック・ミュージックがお好きなんですかと訊くと、やっぱりサイケデリックとかから入ってるからJB(ジェームズ・ブラウン)よりもジョージ・クリントンかな。宇宙って感じで‥‥と答えてくれた。
 制作を始めた頃、子どもがまだ小さかったこともあって、それからずっと自宅ではソファ、アトリエでは寝袋で寝ているという話に、「田内さんはいつもそうだよね。アトリエも行ったけど、何か常に切羽詰まってるよね」と、古くからの付き合いだと言う高岡が混ぜっ返す。
 本当にそうなんだろうなと思う。アトリエにしろ、ストリートにしろ、制作「現場」のスピード感(湧き上がってくる感じ)、機動力、即興的な構築力と柔軟性(応用力)等が、描かれた作品や行動の軌跡、話し振りなどから一貫して感じられる。「行動」する人のアート。それは結果としての作品の集積(アーカイヴ)ではなく、展覧会の開催実績や受賞歴でももちろんなく、「いま・ここ」での行動の手段であり、ツールであり、メッセージであり、身体であるのだろう。


4.高岡大祐ソロ・パフォーマンス
 アフリカ産だという色鮮やかな絵柄の布地で両サイドにシースルーの切り返しが仕込まれたロング・スカート(友人のダンサーが仕立ててくれたという)姿の高岡が、チューバのハードケース(貨物扱い用のもの)に田内が描いてくれたドローイングが外から見えるよう、まずはそちらの面を窓に向けて置き直した。外をあまりクルマが通らないので意外なほどに静かだ。リュックから取り出した、ダイスカップを籠で編んで持ち手を付けたような打楽器「カシシ」(アフリカの民族楽器)を、チューバのそばに並べる。
マリオ高岡福島1縮小

 しばらくして、ケースの「マリオ曼荼羅」面をこちらに向け直し、椅子に腰掛けて演奏が始まった。まずは長い持続音が部屋の響きを確かめるように続く。循環呼吸の鼻息が鋭く空気を打つ。ピストンはずっと開放のまま、息だけで音高を揺らがせる。チューバを吹きながらカシシに手を伸ばし、ゆっくりと、やがてリズミックに振り始める。中に入れられた乾燥した豆がシャカシャカと音をたて、板の貼られた底面をこちらに向けて打ち鳴らすと鋭い打撃音が飛び散る。吹きながら発する声が重ねられ(グロウル)、持続音に立ち戻った中にさざ波が現れて、右脚のステップに煽られるように速度が高まると、ワンワンワンワン‥‥と小刻みに唸りを上げ始める。川村美術館のロスコー・ルームで絵の中から響いてきたように感じた音(もちろん、あそこでは実際に音が鳴っていたわけではなかった)。ミニマルなフレーズが紡がれ、どんどんダンサブルな感じになっていく。チューバを指でパチンと弾いて勢いを付け、再びうなり声。やがて声は高く澄み渡っていき、重音奏法も加わって「一人メレディスク・モンク・ヴォーカル・アンサンブル」みたいな不思議な響きに至る。

 それでも足りないと感じたのか、膝の上にチューバを横置きにして吹き鳴らしながら、カシシを手に取り、両手で振り出す。自転車の手放し運転の如き荒技。さらには右手で管の一部を引き抜いて「水抜き」する間、カシシの鳴りを途切れさせまいと口に加えて頭を振る違法行為(笑)。後には奏法が改良され、膝の上に縦置きしたチューバを左手で支えながら、右手で二個のカシシを振る。
 声とチューバの持続音が豊かな倍音を高めていく。反復的なカシシのリズムと相俟って、ブードゥー祭儀の音楽やカンドンブレ、あるいはネイティヴ・アメリカンのゴースト・ダンスにも似た民族音楽の宗教的トランスの感覚が呼び起こされる。「都心のギャラリーでの演奏」という冷房の効いた無菌的なイメージとは程遠い、熱気と色彩と匂いに満ちた生命の脈動を感じさせる演奏となった。スカート生地とカシシのせいで、どうしてもアフリカのサヴァンナとかを思い浮かべてしまうけれど、それはまさに「マリオ曼荼羅」のオーガニックな生成を映し出した音世界と言うべきだろう


田内万里夫個展
 場所 CADAN有楽町(千代田区有楽町1丁目10−1 有楽町ビル1F)
 会期 2022年8月9日(火)~8月28日(日)
 演奏イヴェント(15時頃より1時間程度 投げ銭制)
  8月11日(木)  高岡大輔(チューバ)ソロ
8月13日(土)  高岡大輔(チューバ)、赤い日ル女(ヴォイス)
8月14日(日)  高岡大輔(チューバ)、潮田雄一(ギター)
8月21日(日)  佐々木彩子(うた,ギター,キーボード)ソロ
8月28日(日)  高岡大輔(チューバ)、桜井芳樹(ギター)
  ※13日は台風襲来のため外出せず聴き逃したが(泣)、
   14日の演奏については幸い聴くことができたので、
稿を改め、追ってレヴューしたい。

田内万里夫ウェブページ「マリオ曼荼羅」
https://mariomandala.com/
 作品のほか、『フォーブス ジャパン』インタヴュー記事(※)や動画も
見ることができ、とても内容が充実しているので、ぜひご覧いただきたい。
※「マリオ曼荼羅」articlesページ最下段のリンクから
あるいはhttps://forbesjapan.com/articles/detail/32543
「『マリオ曼荼羅』のイメージが初めてが降りてきた」時の話などもされていて
実に興味深い。


スポンサーサイト





ライヴ/イヴェント・レヴュー | 15:15:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する