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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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潜在的次元の目覚め ———— 小林七生個展「眠るソラ / COMA SPACE」レヴュー Awakening of Potential Dimensions ———— Review of Nanao Kobayashi’s Exhibition “Nemuru Sora / COMA SPACE”
1 誉田屋源兵衛・黒蔵まで
 2023年11月20日。渋谷アップリンクでの東京公演から続けて追いかけた2019年5月のSublime Frequencies Night@UrBANGUILD以来だから四年半ぶりの京都。その空隙にはコロナ禍による三年間の「断層」、母の死、私の退職と大きな変化/断絶が詰まっている。
 市内を南北・東西に縦横断する二本の地下鉄、烏丸線と東西線の交点である烏丸御池駅から少し(南に)下がったところに目指す会場はあった。江戸中期創業の「帯匠」誉田屋源兵衛。大正時代に建てられたという町家に入ると、保存施設ではなく、今も現役で使用されていることがわかる。その一方で、上がることはできないものの、そこここの戸が開け放たれ、座敷やその向こうの庭の様子を垣間見ることができる。京町家ならではの細長い「走り庭」(水屋等がある)を抜けると、お目当ての「黒蔵」が見えてくる。その名の通り、よくある白壁造りではない(この理由は後ほど明らかになる)。脇の厠からちょうど出てきたご当主、十代目誉田屋源兵衛氏とすれ違う(店のHPでお顔は拝見していた)。やはり只者ではない存在感。
 
 写真:福島恵一                  写真提供:小林七生

2 一階手前
 会場へは靴を脱いで上がる。折り返すと、円形の紋章にも似た作品が出迎えてくれる。マンホールの蓋程度の大きさ。円形の輪郭の内部が、中心から放射状に伸びる線、円や円弧、正三角形や正方形によって仕切られ、それぞれの区画に異なる「刺繍」による造形が施されている。「刺繍」とカギカッコを付したのは、通常の平面的な描画ではなく、幾つものビーズが「植えられた」ジオラマを思わせる造形であったり、質感の異なる他の生地が用いられていたりと、多様な施しが為されているからである。シャープな構成にもかかわらず、感触が柔らかく優しいのは地がファブリックだからだろうか。こうして近づいて細部が見えてくると、「紋章」との第一印象があっさり崩壊して、むしろシンボリックに描かれた地図や都市計画図、あるいはジオラマに似たその立体模型のように感じられる。クロード・ニコラ・ルドゥーによる「アル=ケ=スナン王立正塩所(製塩都市)」に感触が少し似ているのではないだろうか。
 その奥に他の作品が並べられている。壁には黒い布が張り巡らされ、照明は落とされているが、閉ざされた空間にもかかわらず閉塞感・圧迫感は感じられない。厳つさもまた。思った以上に中が広く、また背の高い展示がないからだろうか。落ち着いた居心地のよさ。微かに漂うお香の匂い。不動前にある即興演奏のためのライヴ・スペースPermianで何度も顔を会わせた小林本人が出迎えてくれ、贅沢なことに作品を説明してくれた。
 続く作品群は、自然石の表面に「刺繍」が施されたもの。石の表面に植えられた一群のビーズは、広がる苔や地衣類がまとう露のきらめき、凍てつく夜に育まれた霜柱、成長した鉱物結晶を思わせる。一様な平面だった「刺繍」の支持体が、自然の造形による不規則な平面(多様な起伏や陥没)へと変貌を遂げたのだとばかり思っていたら、小林の説明により、「刺繍」が平坦な一層だけではなく、独自の厚み/ヴォリュームを獲得しているのだと知り驚く。ここで「刺繍」は、自己増殖により石の表面を覆うだけでなく、石に「あるべき形」を与えることまでしているのだ。もし仮に最初に「付着」した石が小さくとも、その表面を覆い尽くせば増殖の停止を余儀なくされるのではなく、自ら新たな「表面」をつくりだし、限りなく増殖を続けることができるのだ。マイケル・クライトン原作のSF映画『アンドロメダ病原体』で、落下した人工衛星のサンプル採取用ネットに未知のウイルスを発見するシーン、何秒かに一回、発光し震えながら分裂増殖していくシーンをふと思い浮かべた。

 写真:Junpei Onodera / Asohgi【Xより転載】

3 一階 円形小広場
 「刺繍」を施された「石」が点在する向こうは明るくなっている。白壁に囲まれた吹き抜けの円形小広場のようになっていて、中央に太い石の柱がそびえ、そこに上から「ネット」が掛かっている。近づいて見上げると、網の目は一様ではなく、かといって無秩序でもなく、数多くの大きさの異なる正多角形が結びついたような形をして、空間を満たす暖かく柔らかな光に輝き、また壁や床に繊細な影を落としている。透明だったり光を反射する部分があるため、視点によって「見え」が変わり、均質な像を結ばない。本節の冒頭に「ネット」と記したが、実際には一目でそれと判明するわけではなく、離れての「見え」と近寄っての観察を統合して得られる結論でしかない。そうした統合による結論を目指さず、ただ率直に感覚的な印象を述べるならば、輪郭や遠近が定かでなく、不均質な濃淡の分布と感じられる点で、むしろ「雲」に近いかもしれない。
 小林の説明によれば、これもまた「刺繍」で、幾つかの長さの異なる管の形状をしたガラスビーズと同様に細いアルミのチューブを、中に糸を通して結び合わせたものだという。空間の広さを思えば気の遠くなるような作業だが、どのように進められたのだろうか。
 尋ねると、やはり全体の完成イメージや設計図が先にあるわけではなく、まずは細部を次々に増殖させていくのだという。とすれば、まずはある一片のガラスビーズあるいはアルミチューブを選び、それに糸を通していくのだろうから、結節点(交点)の配置よりも、線の折れ曲がりながら伸びていく動きこそが制作の推進力なのだろう。それが随所で分岐して広がり、また寄り集まって面を織り成していく。ネットワークというよりメッシュワーク(ティム・インゴルド)。
 この空間のために制作したので、さすがに部屋の寸法は測ったけれども、実際に作品を掛けてみたら思っていた以上に重さで垂れ下がる形になったと彼女は話していた。作品全体のかたちづくる曲面のみならず、各部の「網目」の形状も、重力と張力の釣り合いがこの場で即興的に生み出したものなのだ。ここで「刺繍」はいよいよ支持体を離れ、自由な空間へと身を踊らせるに至っている。

4 二階
 急で狭い階段を二階へと上る。新書版程度の大きさの作品が三つ。いずれも浮き彫りを施した灰色の石板を思わせる形状をしているが、細部がそれぞれ異なる。中心部で光が瞬いているのに気づき。覗き込むと白い光の小さな環が回転しながら、黄や赤へと色合いを変化させ、それに伴って明るさや光の滲み具合、環の形状等が微妙に変化していく。小林の説明によれば、管を回転させながら、それを通して太陽を撮影した映像(動画)を、作品の中に仕込んだ極小のモニターで再生しているのだと。確かにLEDを仕込んだのでは、こうした魅惑的な微妙さは得られないだろう。ちなみに再生される映像は、三つともそれぞれ異なるという。生命の源である太陽の「かけら」を封じ込めた魔法の石。そういえばジャングルの中にポツンと残されたマヤ遺跡の神殿の石組みのうちに、ちょうどこの「石板」を嵌め込む空隙が設えられていそうだ。呪力を秘めた神具、あるいは古代遺跡から出土したオーパーツの印象。
 もうひとつ横長のガラスケースがあり、中には金属的な光沢を放つ帯が収められていた。誉田屋源兵衛でかつて制作されたものであり、糸状のプラチナが織り込まれているという。その端に古代の天文図形を思わせる文様が、ごく細い糸で刺繍されている。「始原」を内包した作品と、実際に長い変容の時を経て、いままた新たな細工を施されて時間を積層した作品がしめやかな対を成している。

 写真:Junpei Onodera / Asohgi【Xより転載】

5 二階 回廊
 部屋を出ると、ちょうど例の円形小広場の上、壁沿いに設えられた回廊に脚を踏み入れることになる。先ほどは一階から見上げたネットを、今度は見下ろしている。二階からの方が離れているため、ネットのほぼ全容を一度に視界に収められる。本体は至るところで光を反射して、必ずしも輪郭や細部の描き出す文様を明らかにしないのだが、床に映る影が壁を伝って二階の壁にまで続き、ひとつながりの線画を描き上げている(上向きの照明も設置されているのだろう)。光の向きや壁までの距離により、形に歪みやブレが生じているだろうが。ふと振り向いて、今までいた部屋の外壁が、白壁造りの蔵の外壁の形状をそのまま残していることに気づく。何と、既存の蔵を被うように建物が築かれ、さらにそれに隣接するようにこの円筒状の空間が新たに建設されて、蔵の内部空間とつなげられているのだ。何と言う綺想。中央の太い石柱は二階よりさらに上まで伸びていて、階下から眺めるよりもさらに巨大さを明らかにしており、この空間全体を壁や回廊ごと回転させるための軸(シャフト)のように思えてくる。もしそうであれば、中空に張られたネットは、回転体の上層と下層の間の界面にほかなるまい。水と油を入れたガラス瓶を激しく振ってしばらく置いておくと、少しずつ濁りが晴れ、上層の油と下層の水に分かれる。それは決して滑らかな単一の平面ではなく、まだ分離しきらない水や油の粒が残り、細かな泡立ちやそれらが溶け合いながら、なお輪郭を保った大小さまざまな区画の線が現れる。このネットはそのような存在かもしれない。二次元の平面/曲面へと収斂しきれず、ミクロな剰余次元をはらんだ二.〇X次元(それは先ほどの「雲」の印象とも合致する)。
 小林も、この空間を見て、回転/旋回のイメージを持ったという。建造物や作品はさすがに動かせないとしても、光源(たとえば懐中電灯)を移動させて、この「ネット/雲」の壁面や柱、あるいは床に映る影を回転させることは可能かもしれない。そんな話を彼女にすると、実は会期中にこれまで二度、このスペース(一階)でサウンド・パフォーマンスをしているのだと教えてくれた(彼女は優れたドラム/パーカッション奏者でもある)。ドラム・セットを持ち込むのはさすがに大変なので、スネアとシンバルだけにして‥‥と。この空間は確かに音でも光でも放ってみたくなるに違いない。


 写真:福島恵一

6 三階
 回廊に開いた狭い入り口から細い螺旋階段を上る。急な上に長くいつまでも続く。眼が回りそうになってようやく三階にたどり着く。今までで一番暗い。壁は黒布で覆われており、天井は円天ドームのようだ。みんな、中央に吊り下げられた「作品」を見つめている。床に座って見上げている者もいる。
 個展の告知フライヤーに載せられた写真がこの「作品」なのだが、まるで煙か靄のようにしか見えない。この空間ではもっとはっきりと見えるが、それでもそれが何であるかはよくわからない。花や果実の「房」(たとえばブドウの房)のような形に見えるが、それも安定した形であるのか、吊り下げられた結果としてのバランスの様態なのかわからない。天井中央部の小さな丸い穴から光が射し込み(自然光だという)、「作品」を真上から照らしている。光柱の直径は「作品」より少し小さいように思われ、「作品」の輪郭を際立たせず、むしろ内側からぼんやりと発光させている。小林の説明によれば、これもまた「刺繍」で、細いワイヤーやビーズを用いて、中心の核の部分から少しずつ外側に広げるようにして(いったんかたちづくってしってから、その内部へと後戻りすることはできない)、「立体」をかたちづくっていったのだという。カゴのような構造なのだろうか。中には隕石のかけらも入っているという(ここでも始原が内包されているわけだ)。
 そうした説明を聞いてもなお、この「作品」の制作過程やできあがった構造が明確にイメージできたわけではない。だが、円形小広場に掛けられた「ネット/雲」とのつながりはおぼろげに理解できた。「ネット/雲」においては、ガラスビーズやアルミチューブの長さによって直線的に規定されていた「辺」が、ここではよりミクロで軽やかなワイヤーの戯れに置き換わり、きらめくビーズはその途中に挿しはさまれ、花のように咲き、果実のように実っているのだと(少し近寄って一部分を注視すると、胞子嚢を付けたカビの顕微鏡写真のようにも見える)。その意味で「ネット/雲」を折り畳み巻き込んだものが、この「作品」だととらえてもよいのかもしれない。内部に無数の空隙を抱え、立体でありながら希薄である点で、こちらは三次元に少し欠ける二.九X次元だろうか。
 見とれているうちに、黒く覆われた周囲の壁から時折、光が射し込むのに気づく。小林の説明によれば、周囲を取り囲む壁にはぐるりと窓が配置されていて、それを閉めて黒布で塞ぎ、さらにその上に黒いメッシュを張り巡らしているのだという。そして少し風を通わせるために、一部の窓は少し開けてあるのだと。それゆえ時折、風でめくれて光が射し込むのだ。壁に近づいても、壁面の存在感がおぼろげな理由もこれでわかった。
 天井の中央部分にも実は大きな天窓が設けられているのだという。それを塞ぎ、小さな丸い穴だけを真上に残したのだと。陽射しの変化や雲の動きにつれ、射し込む光が変化し、「作品」の姿もゆるやかに移り変わる。今日は晴れていて雲が高いので、光の移り変わりが速いようだとも。そう言われて凝視すると、少し時間を掛けて変化する以外に、一瞬、雲がかかるのか、さっと色合いが変わる瞬間がある。今の時期は日暮れが早いので、展示の終了する午後五時頃になると、「作品」はほとんど見えなくなってしまうという。光が消え、「作品」の姿がふっと見えなくなってしまうと、もうそこにあったことすらわからなくなってしまうと。そうしている間にも光が移り変わり、ちょっと首を傾げるだけで、「作品」を吊り下げている細いワイヤーのうちの何本かがたちまち消え失せる。
 この「作品」を真上から自然光を取り込める空間にぜひ展示したくて場所を探していた時に、この黒蔵の三階のスペースを知って、もうたまらずに「作品」の写真を持って、ご当主に直接お願いに行ったのだという。ちなみに彼女は東京の出身で、京都に地縁があるわけではない。あの只者ではないご当主も、彼女の気迫にさぞ驚いたことだろう。ほとんど貸し出しを行っていないという、このスペースの使用が許可された。「この三階のスペースは、ちょうどさっきの円筒状のスペースの真上にあるんですよ」と語った彼女の声には依然として熱がこもっていた。あの「ネット/雲」の真上に、この「作品」が浮かび、さらにその真上から太陽光が射しているという配置の妙は、ピラミッドの玄室や春分/秋分の正午の太陽に合わせた光路の設計を思わせる。既存の空間の特性を使い尽くした展示に驚かされた。
 そんな話を聞いてふと思い立ち、「作品」のギリギリまで顔を近づけて内部を覗き込んでみる。「作品」の横幅は両眼の感覚よりも広いので、輪郭は視界の外に出てしまう。すると暖色の光の中に分子模型のような形が視界いっぱい無数に浮かんでいて、奥行きがあるのか、立体なのか平面なのかもさっぱり不明であるにもかかわらず、「作品」の内部へと入り込み、それらに取り巻かれ浮かんでいるように感じられた。雪の日に、床面までガラス窓になっている建物の二階(以上)から見下ろすと、風にあおられて吹き上がってくる雪片があるために、身体が宙に浮いているように感じられる。そうした「無重力感覚」がここでも感じられた。たとえば油滴天目茶碗がそうであるように、この「作品」もまた一つの世界/宇宙を確かに内包している。
 ※註
 個展会場には作品名が表示されていないため、ここでは「作品」とだけ呼んでいるが、小林本人から、三階に展示されていたのは2021年に制作した「TAMA」と題する作品であると教えられた。小林のウェブページに掲載されている「雲」とは別作品であるとのこと。しかし「TAMA」とは何だろう。私は柳田国男「ある神秘的な暗示」を思い浮かべながら、「珠=魂」ではないかと推測する。

 写真:福島恵一  ※「TAMA」の細部


 写真提供:小林七生  ※会場における展示状態で撮影されたもの

7 再び一階へ
 階段を降りて一階に戻る。めくるめく素晴らしい体験に意識がほてっている。導入部にある「紋章」についても彼女は説明してくれた。やはり旋回/回転のイメージがここにも潜在しているのだという。円や円弧による点対称のイメージと、正三角形や正方形による線対称のイメージが重ね合わされているのは、安定した回転ではなく、回転する中で変貌していく運動のモチーフが現れているのだろう。藍色の線が入った部分は、藍を栽培して染料を取り、糸を染めるところからやって織り上げたと。またビーズの粒立ちは、ドラムの演奏感覚に通じるところがあると話してくれた。これはまったくその通りで、彼女の「非力さ」を逆手に取ってむしろ武器として磨き上げた彼女のドラム奏法は、ドラムを思いっきり振動させて派手に鳴り響かせる鈍重さとは無縁に、余韻を切り詰め、乾いた音の粒を散乱させながら、打面を鮮やかに駆け抜けていく。叩かれたドラムは遠い異国の民族楽器のように硬く張り詰めた音をたてる。それはまさにビーズの輝きに似ているだろう。
 また旋回/回転とは必ずしも同一平面上に限られるわけではなく、下から沸き上がってくる場合もあるだろうという。増殖する「刺繍」の成長が止まって固定化/作品化するのではなく、不断に更新を続けるプロセスの、ある時点での断面として作品があるというわけだ。そうした潜在的な成長性のイメージは、確かに随所に感じられた。この「紋章」に対する最初の感想の中で、都市計画模型とかジオラマと言っている部分が、これに当たるだろう。
 「だから、この作品(勝手に「紋章」と呼んでいる作品のこと)は、下地となる生地があって、その上に刺繍しているのだけれど、実はこれは平面ではなく、球を半分に切った断面が見えていて、球の残りの半分は向こう側に隠れている。だから布を掛けて、後ろに何があるか見えないようにしているんだ」と彼女は悪戯っぽく語った。ここから始まった旅路は、太い石柱に貫かれた円筒状の空間と「ネット/雲」、その上空に浮かぶ「宇宙を内包する房」とその真上から射し込む太陽光という垂直の重ね合わせの中で、予想外の完結を迎えたかと思っていたが、入り口に掲げられたこの球が回転しながら不断に更新を続ける「地図」の中に、すべての道のりはあらかじめ描き込まれていたのかもしれなかった。
 黒蔵を出て振り返り見上げると、ぐるりと窓を巡らせた高い塔の稜線と手前の棟の軒先が、青空を鋭く切り取っていた。

 写真:福島恵一

8 眠るソラ / COMA SPACE
 今回の個展のタイトルについて考えてみたい。
 気になるのは英語副題の中の「COMA」の一語だ。「COMA」とは医学用語で「昏睡」、怪我や病気で意識を失っている状態、あるいはそれに準じる深い眠りを指す。調べると、(感謝祭のディナーで七面鳥を食べ過ぎて)食事の後でうとうとと眠くなることを「food coma」と言うようだが、これに類似した用法が頻繁にあるわけではなさそうだ。確かに今回の展示スペースはとても居心地がよいし、作品自体も攻撃的・刺激的・暴力的ではなく、またうるさく何かを主張するものでもない。しかし、だからといって決して眠りを誘うものではない。それにしても、なぜ「COMA」という極めて意味の強い特異な語が招喚されたのだろうか。
 この問いに対する個人的な回答として、眠るソラ=COMA SPACEとは、作品が自ら増殖/回転/更新を続けることにより、やがて現働化する潜在的な(隠された)次元、まだ展開しない(折り畳まれたままの)メタ世界(※)のことだと考えてみたい。
 ※ここで私は、中井久夫が「世界における索引と徴候」(『徴候・記憶・外傷』みすず書房 所収)で、徴候や索引が一つの世界に等しいもの(=メタ世界)を開くと述べたことを思い浮かべている。その例として挙げられているのは、たとえばプルースト『失われた時を求めて』の紅茶に浸したマドレーヌ菓子の場面である。
 その理由として、レヴュー文中に示したように、展示されている作品群が、ことごとく現時点では形にならず、眼にも見えない可能性を内包しており、しかもそれだけに終わらず、「刺繍」という手法を貫きながら、その様相や支持体との関係性を次のように段階的に発展させていることが挙げられる。
「眠るソラ」表色付き
*1 直接の支持体はないが、実際に空間に掛けられた際には、重力と張力のバランスによりさまざまな形状を取り得る。
*2 形状はほぼ変化しないが、真上から射し込む自然光の時間変化により「見え」がさまざまに変容し、消滅に至る。

 一方、時間のテーマについては、やはりレヴュー文中に示したように、主として二階に展示された作品群により提起されていた。ちらつく太陽の映像(生命の源=始原)をビルドインしたオーパーツめいた作品と、過去に作成され経年変化により歴史を刻印された帯にさらに新たに刺繍を施し、時を積層してみせた作品である。このテーマは三階に展示された作品に受け継がれ、「真上から射し込む自然光の時間変化による『見え』の(消滅にまで至る)変容」として現れている。さらにそれは一階手前に展示された作品から始まり展示全体を貫く底流と言うべき「自己増殖/回転/更新」のテーマ系と接続している。円筒形の空間におけるサウンド・パフォーマンスが、すでにそこに張り巡らされ描き込まれている関係性の網の目(折れ曲がる直線の繁茂)に対する音と光/影による「書き加え」であり、回転を具現化していること、さらには三階の展示がそれらと垂直に重なり合っていることを、いささか蛇足ながら付け加えておく。

 概念的な流れは今述べたようなものであるとして、それらが各作品において、どのように感覚的に具現化されているか見ておきたい。
 まず挙げられるのは、主要な素材であるビーズの「粒」としての形状である。それは単にミクロな「アトム」を象徴するだけでなく、地衣類の芽として、界面の泡膜として、あるいは顕微鏡の視界のうちに浮かぶ分子模型や雲を構成する水や氷の粒子として顕現している。それらがいずれも変容/成長する力を秘めた存在であることに注目しよう。特に円筒状の空間から三階へと貫く中心軸に合わせて垂直に重ねられた二つの「雲」は、「粒」を高速で運動・衝突させることにより、雨や雪、雹や霰、竜巻や雷さえ生じさせる能産的な存在である。
 さらに二つの「雲」は共に「ネット」としての性格を宿している。ここでどうしても「インドラの網(因陀羅網)」のことを思い浮かべずにはいられない。「インドラの網(因陀羅網)」とは、華厳経によればインドラ神(帝釈天)の宮殿にかかっている宝網で、網の結び目に一つひとつ宝珠が付いていて、それぞれが一つの世界を宿しており、それらが互いに限りなく姿を映し合っている‥‥というライプニッツの提唱した「モナド」にも似た世界観が語られている。何も「縁起(=関係性)」のネットワークについてシンボリックに語りたいわけではなくて、三階の暗がりに浮かんだ「雲」に近づいて中を覗き込んだ時、眼に映ったのはまさに互いが互いを映し合う果てしない広がりであったし、それを写真に撮ると自動的に焚かれるフラッシュライトのせいで真上から射し込む自然光の反映は消え失せ、モホリ—ナギによるフォトグラムのように白く感光した「インドラの網」状のもののごく一部が写っているだけである不可思議(さっき見えたものはいったい何だったのか)について書き記しておきたいだけなのだ。

9 自分を小さく希薄にする作業
 「刺繍」の各工程はどれも細かい作業の繰り返し・積み重ねだと小林は話してくれた。最終形を思い浮かべて、それに近づけようとして作っているのではないし、いちいち「こうしよう」と思って手を動かしているわけでもない。手指を動かしているうちに、だんだん頭が、自分が空っぽになってくる。指先が勝手にビーズやワイヤーと会話している。作業が進んでくると、自分が小さくなっていくのに対して作品はだんだんできあがってくるので、むしろつくりかけの作品の方が「意志」を持って作業を、作業する手指を導いていく。作業は自分の考えや知識、経験、想像を超えて進んでいく。それが面白い‥‥と。
 そうした制作作業の過程ですでに、潜在的な(隠された)次元、まだ展開しない(折り畳まれたままの)メタ世界が開かれていく。それは小林自身の中に潜在していた次元、折り畳まれていたメタ世界が引き出され、展開していくことでもあるだろう。彼女は繰り返される作業の中で小さく希薄になりながら、同時にそれを通じて更新されていくのだ。

 アルバート・アイラー論集『五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社)に「録音/記録された声とヴァナキュラーのキルト」を執筆した時、親しみやすい単純なメロディー断片を接合したキメラ的なテーマを繰り返し力の限り吹き鳴らすアイラーの演奏を、(特に女性たちが)集団で作業するキルトづくりと重ね合わせた。パッチワーク、プリコラージュ、異なるパースペクティヴの共存、連帯の可視化、排除への抵抗等について述べているが、その核心はフリー・ブロウイングを続け、どこまでも自己を肥大させていく他のフリー・ジャズに対し、アイラーはコース・アウトするほどの勢いでテーマを繰り返しながら、音量や歪みの途方もない増大とは逆方向に、自分をどんどん小さく希薄にしていっていることだった。キルトづくりとアイラーのブロウは、その自分を小さく希薄にする「作業性」において重ね合わされるべきだったのだ。そのことに感づいていたはずなのに、率直に言語化できなかったことを口惜しく思う。と同時に、小林七生のアートワークをアイラー的な観点から眺められるのに気づいたことを嬉しく思わずにはいられない。


小林七生個展「眠るソラ / COMA SPACE」
 会場:誉田屋源兵衛・黒蔵
    京都府京都市中京区室町通三条下ル烏帽子屋町489
https://kondayagenbei.jp/
 会期:2023年10月27日(金)〜11月20日(月)
    ※11月28日(火)まで会期延長
時間:金~月→11:00~17:00
火~木→アポイント制(要予約/こちらよりお申し込みください。)
https://forms.gle/h56kQx5GhK1nmLpVA
入場無料
 
参考URL
  小林七生ウェブページ http://www.nanaokobayashi.com/
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アート | 10:27:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
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