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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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mori-shige&Hugh Vincent@Barber Fuji on 6th Sept
 道に迷った挙句、だいぶ遅れて会場に着き、そっとドアを開けると、男がピアノの前で頭を垂れていた。残り香のように漂う響き。男は眼を瞑ったまま鍵盤を押さえた指を離そうとしない。音が中空に吸い込まれると、鍵盤から生えた腕がおもむろに動き、少し離れた白鍵をゆっくりと底まで押し下げる。すっと立ち上がった音が、次第におぼろに響きへと解けていく間、男は白鍵を押さえた指で弦の響きを探っている。アップライト・ピアノのハンマーの構造から言って、そんなことは原理的に不可能なのだが、それでも男は弦の響きを指先で探るのを止めようとしない。ピアニストの身体で最もエロティックなのは、鍵盤と接する指の腹だとロラン・バルトは書いたが、男はさらに遠くを見ている。針金で金庫の鍵穴を探る錠前師を思わせる、全身が耳となったかのような集中/沈潜。弦の振動の減衰を確かめ、振動が乗り移った別の弦へとつながる白鍵へ指を運ぶ。こうした右手の井戸掘り人夫にも似た間歇的な彷徨に、時折、外からやってきた左手が、全く違った歩幅の足跡を割り込ませる。男はますます深く頭を垂れ、指先はそこに点字が彫り込まれているかのように鍵盤をさすらい、かそけき音の柱を建てていく。最初の硬質な輪郭が切れ切れとなり、希薄な響きへと移ろう中から、他の弦の共鳴が姿を現し、幾重にも解けながら溶け広がる。震災で倒壊した高架柱の亀裂から覗くねじ曲がった鉄筋のように。音の透明な内臓。

 男はmori-shigeだった。彼の音と初めて出会ったのは、OMEGAPOINTで薦められて買った彼の初CD作「fukashigi」だった。この作品は「ユリシーズ」1号のディスク・レヴューで採りあげているので該当箇所を引用してみよう。

 「同じくチェロによる即興演奏でありながら、先に見た翠川による視覚的構図の透明さに対し、mori-shige「fukashigi」は楽器の内臓に首を突っ込んだように息苦しく見通しが効かない。一聴「現代音楽的」な硬質な響きがこのような即興的強度をはらむのは、彼が自らに盲目であることを課しているためにほかなるまい。ただひたすら弦との接点に集中し、昆虫が触覚を揺らめかせるように弓をもって這い進む微視的演奏は、作品構成的なパースペクティヴの先行を徹底して拒絶し、充満するサウンドに溺れ身を委ねることなく、一瞬ごと垂直に沈黙から身をもぎ放つ。その結果、音の動きは紙面と毛先の接触が生み出す毛筆の雄渾な運びを思わせ、圧縮された音響はほとんど電子的な変調へと至っている。」

 先のピアノは前半最後の演奏であり、短いインターミッションをはさんで、後半は彼とHugh Vincentが2台のチェロによるデュオを繰り広げた。
 Vincentが洗濯バサミでプリペアした低弦をはじきながら、弦を撫でさすり、フラジオ音を滑走させる。mori-shigeが弓を強く弦に押し当て、顕微鏡的に圧縮されたポリフォニーを奏でれば、Vincentは駒の際に弓を当て、さらに情け容赦なく弦を責め苛んで重層化されたスパイシーなノイズを放ち、mori-shigeは胴から弦、エンドピンまで流れるように指を這わせ、チェロからあえかな吐息を引き出す。
 演奏は2人のフィギア・スケーターの演技のように、互いの役割を滑らかに取り替え、映しあいながら進められた。音域の高低はもちろん、緩急や密度の対比、響きの彫りの深さの加減まで、2人の出入りの呼吸は素晴らしかった。通常の即興演奏デュオでも、一方が前面に出てソロを取る時に、他方が一歩下がってリフレイン等によりバッキングを付けることはよく見られる。しかし、ここではそうした主従関係ではなく、常に対等に振る舞いながら、相手を活かし、そのことによって自分も活きる工夫が見られた。
 ここで2人の演奏の共通基盤をかたちづくっているのは、まずミクロな音響(圧縮された多様性)への関心の高さであり、それゆえフレーズの変奏やリズミックなフィギアにこだわらない演奏の自在さと「触覚的」な質であり、そして弦を滔々と震わせる悦びであるだろう。
 このうち3番目の共通点は演奏の中盤で聴かれた。フレーズへと加工することなく、また、新奇なサウンドを求めることもなく、そうした「意図」で汚染されない、楽器から取り出されたばかりの健やかな響き。天井の高くないリスニング・ルームが、石造りの古城のように、豊穣な響きで満たされていく。それはまた他者の音と自らの音を、境目無く溶け合わせることの悦びでもあるだろう。デュオは最後、そのようにひとつになって終わった。
 おそらくはここを基底として(「自己表現」中心の日本の即興演奏ではあまりないことだが)、その上に「触覚的」なサウンド・レイヤーが敷き重ねられていく。互いに相手との距離/呼吸を測らないのは、こうした「触覚的」サウンドを操る演奏者の特性と言えよう。彼らは音の焦点を競演の相手ではなく、はるかに近いところ、弦の振動をはじめ、自らの楽器の各部分に合わせる。先に見たように自らに盲目を課し、遠くを、相手を、直接に眼差すことなく、楽器の振動の向こうに透かし見る演奏。

 デュオということもあってか、あるいは演奏活動による「成長」のためか、mori-shigeの演奏は、「fukashigi」よりもヴォキャブラリーを増し、その分、演奏のピュアリティと集中の強度を減じているようにも感じられた。その一方で、今回、彼とVincentの「触覚」の質の違いも垣間見ることが出来た。弦をプリペアし、胴を指先でキュッキュッとこすりたて、チェロを膝上に乗せて、胴をリズミックに叩きまくることも辞さないVincentに対し、mori-shigeはほとんど音にならない微妙さで、チェロの表面に指を走らせる。それは特定のサウンドを引き出すためと言うより、チェロの振動を指先で読み取るためなのだ。あるいは冒頭で見たピアノの鍵盤を押さえた指先から弦の振動を探る姿。彼は楽器/振動の核心、その内臓部分へと手を差し入れることはしない。慎ましく、そしてよりエロティックに、彼は表面を撫でさする。眼を瞑り、指先に集中して。皮膚の下の経絡を探るように。衣服に包まれた肉の熱さを味わうように。何十枚も敷き重ねた布団の下に置かれた一粒の豆を感じ取る鋭敏さ。ここで音は耳よりも、指先でとらえるべきものとなっている。


当日の演奏風景(松本渉氏撮影)
バーバー富士HP(http://members.jcom.home.ne.jp/barberfuji/)から

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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 00:03:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
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