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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ECMの音の眺め① 響きとにじみ
 「こんなにブレていても写真として成立している点が、とても新鮮な驚きでした。」
 月光茶房店主の原田さんにそう言われて、「Red Lanta」(ECM 1038)のジャケット(後掲の写真参照)をしげしげと見詰め直し、改めてブレていることに気付かされた。というのは、大地/草原から立ちのぼる「気」のようなものをとらえた1枚と思い込んでいたからだ。眺めの向こう、遥か遠くに、透き通って揺らめく景色。
 それに写真の「ブレ」というと、連想はすぐに「アレ・ブレ・ボケ」(森山大道)へ飛ぶ。そこでブレとは対象の運動と振り向きざまのカメラの一瞬の邂逅/衝突であり、動き続ける世界をこの瞬間に刻み付けるドキュメンタルな強度と路地裏の速度に溢れたものだった。
 「Red Lanta」のブレはそれとは明らかに異なる。ここに都市の速度はない。代わりに風景の静謐な生成があり、刻々と移り変わりながらも悠久たる奥深さが、こちらに手を差し延べている。前者が一瞥の残した生々しい傷跡だとすれば、後者は凝視がもたらす融解/浸潤と言えようか。一点を注視し、そのまま見詰め続けることにより、対象は視界の中で大きさを増し、次第に形/輪郭を曖昧にして周囲の空間へと滲みだし、おぼろな色斑となりながら、やがて溶け出して、にじみ、広がり、ついには視界を覆うに至る。その時、人は対象を見詰めていると同時に、対象に「見詰められている」(あるいは照らし出されている)と感じることになる。
 「世界に眼があって私を見詰めている」というメルロ=ポンティ~ラカンの凝視論によるまでもなく、こうした感覚はたぶんに日常的なものだろう。こうした感じ方は聴覚の方が視覚よりも強いかもしれない。何物ともつかない不可思議な音に耳が引きつけられ、どうにも離れなくなる。たとえ微かな音であっても、世界を汚染し覆い尽す。その時、私はその音に繋ぎ止められ、また、その音によって照らし出されているように感じられる。不思議なのは、たとえ音の源が判明し、何の音か明らかになったとしても、依然として耳についてはなれない場合、その音はやはり明確な輪郭を持たず、位置も距離も定かではなく、明確な像を結ぶことのない、空間を曖昧に満たす不定形な広がりとして、すなわち色斑のにじみにも似た「響き」としか呼びようのないものとして感じられることだ。

 ECMの録音は音像を重視しない。実体感よりも響きの空間的な広がりを採る。このことがまた「ジャズ的でない」と後ろ指差される理由のひとつともなるのだが、それは決してイージー・リスニング的な音色の美しさ/心地よさを目指したものではない。音を演奏者の身体の運動に囲い込むことなく、空間に解き放つこと。いや、こう言うべきだろうか。音を放つことにより、新たな空間を開くこと。音が切り開き、張り巡らす空間に、響きを羽ばたかせること。サウンドが交錯し、色斑が重なり合ってにじみ、響きが溶け合いながら広がる。カスパー・ダーフィト・フリートリヒ/マーク・ロスコの絵画にも似たオール・オーヴァーな生成へ向けて。メロディの「線」は解体され、色彩の海に破片を浮かべる。飛び散った首飾りは、天上の星座となって、音のない冷ややかな響きを放つ。
 「アイヒャー・エコー」とは単なる音の化粧法ではない。それは言わばマンフレート・アイヒャーによる「響きとにじみの哲学」の産物なのだ。音を、世界の生成を、凝視して止まない耳と指先のための。
 この哲学に最も反発を覚えるのは、おそらく音楽家、演奏者たちであるだろう。彼らは自分たちこそが音楽を生み出すと信じており、空間など単なる容れ物に過ぎないと見なしているのだから。凍りついた/干からびた動きのない「死物」たる空間に対し、時間はいきいきと脈打っており、我々こそが熱いアクション/ドラマを生み出せる主体であるのだと。しばしば「オーヴァー・プロデュース」を非難されるマンフレート・アイヒャーだが、それも仕方のないことかもしれない。何しろ彼の哲学を具現化するためには、演奏者の「通念」を一度切断する必要があるのだから。
 革命的なアクションにすべてを賭けたフリー・ジャズがコルトレーンの死を象徴的な日付として停滞し、澱んでいく様(オーネット・コールマンをはじめとする何人かを貴重な例外として。だがしかし、オーネットが「フリー・ジャズ」を演奏したことなどあっただろうか)を目の当たりにしたアイヒャーは、アルフレート・ハルトたちによる、ヴォルフガング・ダウナーによる、アンソニー・ブラクストンによる、チック・コリアによる、マリオン・ブラウンによる、デレク・ベイリーやエヴァン・パーカーによる、多方向からの「ポスト・フリー」の探求を踏査し、それらを様々な「空間化」の試みと位置づけ、ECM初期30枚でアンソロジー化してみせた。そして、この過程を通じて編み上げた哲学を初めて具現化してみせたのが、これに続く「Diary」に始まる30枚にほかならない。


『ECM Catalog』刊行記念「純喫茶ECM」
渋谷アップリンク・ファクトリー
日時:9/26(日)開場18:00/開演18:15
出演:原田正夫、多田雅範、福島恵一
料金:¥1,500(1ドリンク付)


Art Lande, Jan Garbarek「Red Lanta」(ECM 1038)


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音楽情報 | 23:39:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
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