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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ECMは音がナナメ(+o+)② The Great Pretender
 26日の「純喫茶ECM」では司会の原田さんに振られるがままに、いろいろなことをお話したのですが、その中でも一番長く熱く語ってしまったのがLester Bowie「The Great Pretender」(ECM 1209)について。当日は時間やタイミングの関係もあって語れなかった部分も含めて、ここに掲載させていただくことにします。当日ご来場の皆様には、話ばっかりで曲をあまりお聴かせできなくて申し訳ありませんでした。気になる方はぜひご購入ください。名盤です。

1.爆発
 ポスト・フリーの諸傾向を探求した初期30枚の「広がり」志向から、Ralph Towner「Diary」を契機として、アイデンティティの確立に向け、「深さ」志向へと転換したECMは、78年頃から再び「広がり」へと向けて舵を切る。Art Ensemble of Chicagoとの契約がその象徴だろうか。リアル・ジャズに手を伸ばすECM。Jack DeJohnetteもグループにLester Bowieを迎え、New Directionsの旗頭を掲げる。やがて、この旗の下にDavid MurrayやArthur Blytheが集うことになるだろう。あるいはLeo SmithやSam Riversの参加。NYロフト・ジャズ・シーンの最良の部分が移植されたかのようだった。
 こうした広がりは、より大規模な広がりの一部ととらえることもできる。同じNYのダウンタウンで活動していたSteve ReichやMeredith Monkにもアイヒャーの触手は伸び、New Seriesの基礎が築かれる。また、Collin WalcottからDon Cherryへと伸びる線は、一方でOld And New Dreamsによりフリー・ジャズの流れに接続しながら、他方でNana Vasconcelosを捕らえて魅惑的なトリオであるCodonaを産み落とし、さらにはBengt Berger Band「Bitter Funeral Beer」の冷ややかなアフリカン・アンビエントへと結実する。カンブリアン・エクスプロージョンにも似た、眼の眩むような、まさに「爆発的」な広がり。Shankarのインド古典音楽や、Steve Eliovson,Steve TibbettsによるFolk/Improvもこの爆発のふりまいた輝きのいとおしいかけらのように思われる。
 この時期、ECMからリリースされたリアル・ジャズ系の作品群は一様に高い評価を受けた。「汗をかかない」、「冷房の効きすぎた」と常にECMを非難していた「ミュージック・マガジン」さえ9点・10点を付けていたのを覚えている。NYロフト・ジャズ・シーンが経済的に破綻し、Ronald Shannon JacksonやJames Blood Ulmerたち、ハーモロディクス一派が活躍を始めるまでの間(御大Ornette Colemanの作品を制作できなかったことはアイヒャーにとって痛恨の極みではなかったか)、ECMはリアル・ジャズの「希望の星」だったかもしれない。

2.距離
 だがしかし‥と思わずにはいられない。ECMが放ったリアル・ジャズの作品群には、ECM独特の「マジック」が希薄だ。それらは確かに素晴らしい作品だが、ECMからリリースされるべき必然性は、実は薄いのではないだろうか。それこそNYロフト・ジャズ・シーンが健全に機能していれば、そこを取り巻くマイナー・レーベルからリリースされていたのではないか‥と。
 ECMはヨーロッパを拠点とするレーベルとして、アフリカン・アメリカン・ジャズに対する一定の距離感のもとにスタートしている。それは初期30枚によるポスト・フリーの探求が、Anthony BraxtonやMarion Brownの参加作品を含みながら、その演奏はブラック・パワーの横溢からは遠く離れ、むしろ空間の手触りを確かめ、幾何学的な構成に憧れの視線を向けていることにも現れているだろう。この「距離」こそがECMの「マジック」を生み出す。距離は演奏者の肉体を遠ざけ、音/響きに注目し、空間を浮かび上がらせる。あるいは距離はサウンドの輪郭を解きほぐし、声を溶け合わせ、色斑の明滅へと変貌させる。さらには距離を「遠く離れていること(帰り着けないこと)」と変奏すれば、時間軸における「距離」からは、幼年/少年時代へのノスタルジアから古代幻想までが浮かび、一方、地理的軸における「距離」からは、異文化への憧れと危うい香りを放つエキゾティシズムがこぼれ落ちる。両者が再び交わるところに亡命者(故国喪失者)の凍てついたノスタルジアを思い描くことも可能かもしれない。

3.The Great Pretender
 Art Ensemble of Chicagoをはじめとする者たちが触れることのできなかった、この「距離」の「マジック」を実に巧みに使いこなしているのが、Lester Bowie「The Great Pretender」(ECM 1209)にほかならない。ここでは15分もの長さに拡大された表題曲を見てみよう。
 原曲は人気黒人コーラス・グループPlattersによる「Only You」に続く1956年のミリオン・セラー。もはやR&Bの古典と言っていいだろう。Dolly Parton,Roy Orbinson,Sam Cooke,TheBand,Fredy Mercury等、多くのアーティストがカヴァーしている。そして、Lester Bowieの演奏はそのどれよりもスロウで、ゴージャスで、ドリーミーだ。演奏はもったいぶった調子で音数を惜しみながら、たっぷりとした響きの光彩をひらめかせ、ゆっくりと時の流れをさかのぼる。オリジナルの発表年をはるかに超えて、プレ・モダンでアーシーな響きの奥深くへと。
 ここで「距離」はノスタルジアへと転換されている。Bowieはこのためにかつての盟友Phillip Wilson(dr)やFontella Bass(vo)を呼び寄せる念の入れようだ。一方、サックスはバリトンのHamiet Bluiett。高音(トランペットとコーラス)と低音(バリトンとベース)に二極分解したサウンドは、中音域をぽっかりと空け(ピアノ/オルガンは決してこのスペースを埋め尽くそうとはしない)、そこにオールドタイミーな幻想を映し出す。まるでブードゥーの魔女のようなFontella Bassの押し殺した黒い笑いとかすれた語り。「I'm the great pretender」。トランペットのテーマ変奏に入っても空気は変わらない。しかし、続くバリトンのソロに耳を傾ければ、アーシーなサウンドを踏まえながら、いかにもポスト・フリーなアブストラクトに再構成された見事なソロとなっている(決して歌メロのひねりやクリシェの泣き/雄叫びではない)。このソロを抵抗感なくするすると聴かせてしまうために、この壮大な音のセノグラフィが仕組まれたのではないか。
 セノグラフィとは演劇用語で、語の直訳としては舞台装置、舞台美術を意味する。しかし概念としては、19世紀後半以前の「読む」演劇(テクストとしての戯曲中心の演劇)に対する「見る」演劇(舞台装置、衣装、照明、俳優の姿勢/動き等により重層的に視覚化される演出中心の演劇)を支えるものであり、「演出家の時代」をもたらしたものにほかならない。スタンダード等の古典的な楽曲レパートリーに対するカヴァーについても、同様の対比が可能かもしれない。メロディ解釈(及びこれに基づくアレンジメントの変更)を中心とするカヴァーとサウンド全体をセノグラフィとして再構築するカヴァー。Bowieの試みは、まさに後者の優れた一例と言っていいだろう。
 重層的なセノグラフィはまた重層的/多面的な読みを誘う。本作品の視覚的セノグラフィを担うジャケットを見てみよう。暗い空のあり得ないほどに深く透明な青。高い空を更に持ち上げる鬱蒼とした木々のシルエット。中間にぽっかりと開けた湖面に映る景色が、やはり中音域をぽっかりと開けたサウンド配置を思い起こさせる。そこに佇む男の白いシャツが夢の中の情景のように、くっきりと鮮やかに浮かび上がる。しかし、その下半身は透き通るように風景に飲み込まれている。妙だ。何かおかしい。こんな写真が本当に撮れるだろうか。いったい照明はどうやって‥。合成ではないのか。そうした疑念をたしなめるように、右側にはこれがフィルムそのものであることを示すAGFA CHROMEの黄色い文字が。しかし、よく見れば下と右側の辺はすっきりとシャープな直線であるにもかかわらず、上辺は不自然にトリミングされていて、そこには「The Great Pretender(大嘘つき)」の文字が‥。そこで「読み手」は仕組まれていた仕掛けを一挙に理解することだろう。ECMの「距離」をアドヴァンテージとして見事に使い尽くしたBowieの鮮やかな手口に半ばあきれながら、それでも賞賛の声を惜しむことはないだろう。

 ちなみに原曲の歌詞を見ると、The Great Pretenderとはさびしいのに、自らの心を欺いて明るいふりをしたり、去ってしまった彼女が今でもそばにいるふりをしたりする哀しい男ということで、他人をだましているわけではありません。念のため。


Lester Bowie「The Great Pretender」(ECM 1209)


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音楽情報 | 23:41:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
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