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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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大里俊晴著作集「マイナー音楽のために」
 「大里さんが撮った写真を少し見せてもらったんですが、これがいいんですよ」と、以前に月光茶房店主の原田さんから聞いていた。この本の表紙を飾る彼の写真を見て、なるほどと思う。
 おそらくはビルの空調の排気塔だろう。鏡餅型UFOのような愛らしいかたちが斜めに傾いで、手前のひとつには乾いた汚れが不思議な文様を描いている。その下を走る大小のパイプ群も同じ視角にとらえられてはいるが、「工場萌え」のように存在を際立たせることなく、水平の広がりの獲得にただ黙って貢献している。よく見ると、向こうには同じかたちが縮小転写したようにリズミックに繰り返され、さらにその向こうには新宿の街の輪郭がわずかにのぞいている。彼が最後の5年間を過ごしたという「新宿九龍城」からの眺望なのだろうか。いつくしみもしない代わりに、締め出すこともしない。「都市の無関心なやさしさ」を感じさせる1枚だ。
 「京橋のINAXブックギャラリーに置いてある建築書のような装丁」‥これが幸福な第一印象。ちなみにカヴァーを剥ぐと仏スイユ社のシリーズを思わせる禁欲的なほどにシンプルな白地が姿を現す。文字は背に記されたすべて小文字による仏語表記のみ。

 大里俊晴のことをよく知っているわけではない。しかし、本書を読んでみたら、結局ほとんどの原稿は初出の際に眼を通していた。読み進めるうちに、いろいろな記憶がよみがえる。同じ雑誌に書いていたこともあり、ジョエル・レアンドルの来日に当たっては、斎藤徹を迎えて鼎談をしたこともあったし、公開インタヴューの通訳をお願いしたりもした。鼎談を終えての帰り道、駅へ向かう途中の信号待ちで、彼から「ジュヌヴィエーヴ・カバンヌって‥」と訊かれて、「ああ、あのピエ・ド・プールの‥」と答えたやりとりが本書に載っていたりもする。ライヴで顔をあわせたことも何度か。当時の我が家の近く、駒沢の喫茶店アポロで豊住芳三郎とフィル・ミントンのデュオが行われた時、彼は配られたシュークリームをおかわりして3個も食べていたし、ミッシェル・ドネダとカン・テーファンの出会いを目撃しようと大阪に出向いた時は、「ここまで追いかけてくる奴は俺たちぐらいのもんだ」と部屋の外から聞き覚えのある声がしたので、振り向いたら眼が合った。まだ、アップリンクが以前の場所にあった頃、ピエール・シェフェールに捧げる彼のパフォーマンスを観ていた(例のCDボックスセット付属のブックレットにいっぱい附箋を貼って、頁を繰り、仏語で読み上げながら、様々なサウンド/ノイズを発する)し、四谷のジャズ喫茶では仏フリー・ジャズに関するレクチャーも聞いていた(彼は「五月革命」の季節に象徴的な節目を見出すよりも、それに先立つポストモダン的な実践や70年代後半に訪れるフリーな叫びの失効に重要な切断を見ていた)。
 そうしてたぐり寄せた記憶の中で、最も印象深いのは彼の声である。時として極端なまでに自己韜晦が過ぎる書きぶりや、いつも外さない黒眼鏡から知れるように、彼はとてもシャイな人柄なのだが、ゲストに呼ばれて行ったFM東京のスタジオでは、びっくりするぐらい饒舌だった。それはCS放送用の音楽番組だったのだが、彼はパーソナリティとして話を進め、自在に脱線し、アシスタントに茶々を入れ、こちらに話題を投げかけた。深夜放送を聴いていたわけでもなく、とんとラジオに縁の薄いこちらは、せいぜい要領よくコンパクトにメッセージを伝えるだけで精一杯で、まさに水を得た魚だった彼を、とてもうらやましく思ったのをよく覚えている。そうした彼の自信に満ちた振る舞いを支えていたのは、彼の甘く深みのある声と、少年ぽいいたずらな笑いをかみ殺しているような話しぶりだったのではないだろうか。ジャク・ベロカル「フェイタル・エンカウンターズ」で、ベロカルの曲を紹介する彼の声を聴くことができる(なぜそのようなトラックが収録されるに至ったかについては、本書p.415を参照)。

 ここでひとつ強調しておかなければならないのは、彼は決して単なる好事家、「珍品愛好家」などではなかったということである。彼はむしろ頑固なまでに質に気を配り、反動的・抑圧的なまでに「良いものは良い」とした。前述の放送に関する打合せの際に、彼が「この番組では、ファン・ホセ・モサリーニの来日公演のテープを流せたんですよ」と胸を張ったことを覚えている。独身者の反社会的実験としての「エクスペリメンタル・ミュージック」にのみ彼の関心があったわけではない。
 そうした音楽の質への厳しい要求は、彼の性格や「批評と趣味の分裂」ともあいまって、「抑圧的反動オヤジ」といった一種の戯画的キャラを産みもするわけだが、その原点は「音楽に魂を奪われる」という二度と後戻りのできない体験にあるのだろう。本書で「前書き」の位置に置かれている「PRIVATE CHART 10」がそうした体験を垣間見させてくれる。そこで彼の言う「かつて誰にも見せたことのない、一番隠しておきたい、最も大切な場所」とは、そうした説明から連想されるような「ヰタ・セクスアリス」的とも言うべきアドレッセントな目覚めではなく、はるかに暴虐的な「侵入」体験にほかなるまい。なぜなら、阿部薫、アルトー、クセナキス、ヴェルヴェッツ、コレット・マニー、ジャックス、ティム・バックレー、パティ・ウォーターズ、ブルー・チアーと続くリストは、むしろ自己形成の契機として誇りうる「武勇伝」的なものであり、決して「恥ずかしい体験」などではないからだ。本書収録の「JZからの/への迂回」で、ジョン・ゾーンの少年時におけるアルトー、ヴァレーズ、アルバート・アイラー、特にマウリシオ・カーゲル体験に彼が触れる際に示す共感ぶりは、共に「聖痕」を有する者同士の親密な目配せが感じられる(だがスティグマとは、逃れられぬ運命を決定付けるマイナスの刻印でもあることを忘れてはなるまい)。

 編集は「ユリイカ」で担当編集者だった須川善行。巻末の解題、書誌の丁寧なつくりには細やかな愛情が溢れている。



大里俊晴著作集
「マイナー音楽のために」
(月曜社)

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書評/書籍情報 | 23:00:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
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