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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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大里俊晴「マイナー音楽のために」2
 大里俊晴が開いてくれた扉のうち、最も豊かで魅力的なものとして、フランスで展開されていた「想像的民俗音楽」(フォルク・イマジネール)の世界がある。「Music Today」11号「特集 Jazz Extended」に掲載された「エクレクティズムを展望する あるいは90年代の傾向と対策」の中で紹介された「故デメトリオ・ストラテスを想起させずにはおかない」仏バスクの民族歌手ベニャト・アシアリと、「信じられない電子音的音響を生み出す」超絶的なヴィエル・ア・ルー奏者ヴァランタン・クラストリエの名前は、それまでまったく耳にしたことのないもので、彼の想像力をいたく刺激する形容により私の記憶に深く刻み込まれた。当時、入荷し始めた仏ナトー・レーベルを探っていて、ミッシェル・ドネダ「テラ」のエスニックな香りに魅せられていた私は、創設されたばかりの仏シレックスの作品にも手を伸ばしており、そこでこの大里による魅惑的な一文に出会って、一挙に取り返しのつかない深みにはまることとなる。もともとマリコルヌ等の仏トラッドを聴いていた耳にも、彼らの演奏はとてつもなく強烈だった。このあたりの流れは、「耳の枠はずし」第2回「野性の耳がとらえた音景」で紹介したところである。
 その後しばらくして、前回お話したように、まさにその「フォルク・イマジネール」をテーマとして、私は大里と鼎談のテーブルを囲むことになる(「ジャズ批評」88号掲載)。以下にその時の原稿を再録しよう。その中での発言「シャンソンでもなく、ジャズでもなく、「ブリジット・フォンテーヌ」自体がジャンルって感じですね。まるで孤島のようにあって」は、まさに大里俊晴ならではの名言だと思う。
 ちなみにコレット・マニーのことは、仏シャン・デュ・モンドの音源をコンパイルした日本編集盤「帰らぬ兵士の夢(平和のための世界の歌~ヨーロッパ編)」で知った。池袋西武アール・ヴィヴァンで見かけたそのLPを、ヴラジミール・ヴィソツキーとシャン・デュ・モンドの名前に惹かれて手に入れたことにより、私はコレット・マニーのほか、リュイス・リャックやルイス・シリア、フランシス・クルト等の歌声を教えられることとなる。




〈想像的民俗音楽〉(フォルク・イマジネール)を巡って
ローカルに編み直されるフランス音楽シーンを聴く


 ■BYGからNatoへ
福島
 かつてヨーロッパのフリー・ミュージックは、ECを先取りするようなかたちで、普遍を目指し統合へと向かっていたのが、現在はむしろEC統合とは裏腹に、ローカルに編み直されてきているように見える。それがもっともわかりやすく、また面白いかたちで現れているのがフランスのシーンではないか。そこを中心に紹介できればと思います。読者の興味をかきたてると同時に、じゃ何から聴いたらいいかというガイドにもなるようなかたちで話を進められればと考えています。
大里
 おそらくフランスのシーンが初めて活性化したのが、かつて植草甚一さんがとりあげたBYGのへん、つまり六〇年代の終わり頃です。アメリカのブラック・ミュージシャンたちが大量にフランスに行きましたよね。アンソニー・ブラクストンとか。“アート・アンサンブル・オヴ・シカゴ”もフランスで結成されたし。アーチー・シェップとかのバックにベブ・ゲラン(b)とかジャック・トロー(dr)が入っていて、それで注目されてきた。そこからちょっと切れるんだよね。まあミッシェル・ポルタル(sax)なり、ヴィンコ・グロボカール(tb)⑭なり、ジャン=フランソワ・ジェニー・クラーク(b)なり、現代音楽をやる人たちの即興というのはあったけれども。七〇年代というのが全くなくて。やっぱし、Natoなんですね。あれがどかっと「ディスク・ユニオン」に入ってきた。一番最初にデレク・ベイリーの入ったジョエル・レアンドル①を買った覚えがあります。
福島
 Natoはジャケットが実にカラフルなんですね。同じ人が、実に器用にいろんな画風を描き分けていて。どれか一枚買って帰りたいという気にさせる。そうすると誰か知ってる奴が入ってるのがいいや、となって、その点レアンドルのはジョージ・ルイス(tb)にイレーネ・シュヴァイツァー(p)にベイリーも入ってお徳だった。
大里
 あのへんで既に、アメリカやイギリスとも結んだNatoのネットワークができあがっているのがわかる。レーベル・オーナーのジャン・ロシャールは最初フェスティヴァルをやって、そこからのつながりでいろいろ録っていったんです。イギリスのIncus、ドイツのFMP、オランダのICPやBVHAASTみたいな中心となるレーベルが、フランスにはそれまでなかったけど、Natoができて七〇年代にやってたことがだんだんと見えてきた。

 ■民族音楽とのつながり
福島
 Natoにはこれから言及しようという人たちが一斉に出てきますね。一方にスティーヴ・ベレスフォードがやってるみたいな「オモチャなフリー・ミュージック」があるんだけど、その一方でミッシェル・ドネダ(ss)の『テラ』③とか、アンドレ・ジョーム(ts)がギリシャの民俗コーラスといっしょに演ってるのとか、民族音楽とのつながりが濃厚に出てきて、非常に新鮮でした。あのへんはどうなんでしょう。もともとやってたものが出てきたということなのか。ドネダにインタヴューしても、本人としてはあまり意識してないよ、ということになってしまうんだけど。
斎藤
 ドネダなんかと話してて思うのは、フランス人の反アメリカ意識の強さです。特にミュージシャンは強い。ポップコーン食べながら、コーラ飲んで、ソファーでTV見てるとバカにしている。それに対抗したものを大事にするという姿勢があるような気がする。
大里
 ドネダは確か南仏ですよね。人に聞いたら南仏訛りがあるんだって。もともとフランスは地元意識がすごく強い。地元文化復興運動というのが、だいたい六〇年くらいです。それに音楽的先鞭をつけたのが北仏ブルターニュ出身のアラン・スティーヴェル(hp)。その後、南仏ではロジーナ・デ・ペイラ(vo)とマルティナ(vo)のデュオとかが出てくる。
福島
 スティーヴェルのところから出て、より汎フランス的なトラッドを探求した“マリコルヌ”とかね。
大里
 そう。もともと地方に根付いている文化があって、誇りに感じていたりもして、冠婚葬祭とかあれば、フォーク・ミュージックが演奏されているわけだし。盆踊りみたいなもんで。
斎藤
 ドネダは俺はあまり金がないから田舎に住むと言ってた。そこで文化が起こってくると高くなるから、また田舎に行くというのを続けている。みんなそうみたい。この間、人里知れない田舎に演奏に行ったら、サニー・マレー(dr)とエバーハルト・ウェーバー(b)が住んでいて驚きました。別に芸術家村とかじゃないんだけど。
大里
 フランスは中央集権の国だとも、地方分権の国だとも言える。地方には地方のユニークな文化がある。バカンスの三ヵ月間、文化が活性化するってのもあるし。現代音楽でもそう。電子音楽にしたって、選ばれた超エリートたちがやってるパリのIRCAMだけじゃないんですよ。リヨンのグザヴィエ・ガルシアとかマルセイユのミッシェル・ルドルフィとか。
福島
 バール・フィリップス(b)とアラン・ジュール(perc)が『アクエリアン・レイン』⑧で電子音楽と共演してますが、それもそうしたローカルなものなんですかね。
斎藤
バールのやってるああした音楽、フリー・ミュージックは、もうそれ自体現代音楽ととらえられているみたい。少なくともフリー・ジャズではない。フリー・ジャズっていうのは、もうエネルギー・ミュージックのことなんだよね。
福島
 そのへんは“AEOC”みたいな本物が来て、しばらく活動していたというのが大きいのかもしれない。
斎藤
 バールに言わせると、フリー・ジャズのミュージシャンは時間には遅れるし、女・博打・薬。僕たちはちゃんと時間を守る(笑)。実際その通りですね。ドネダもアランもすごくマジメですよ。
大里
 レアンドルにしたってクセナキスにケージ…。特にジャチント・シェルシなんか一手に引き受けているという意識がある。彼女が主催したシェルシのフェスティヴァルを観たけど、もう「私がやってるのよ」って感じでしたね。
斎藤
 ヴェトナム系のレ・カン・ニン④も、むしろ現代音楽の方が名が知れているかもしれない。
福島
 “エリオス四重奏団”という打楽器アンサンブルですね。
斎藤
 そう。ナンシーのフェスティヴァルでも、デヴィッド・モス(vo,perc)とデュオした翌日に、アンサンブルでケージをやってた。レ・カンはソロもいいんだよね。
大里
 あのリズムって、何か乗るんだよね。
斎藤
 すごく色彩的なんですよ。
福島
 韓国のシャーマン・ミュージックのようなサウンドが随所に出てきますけど、あれは勉強してやってるんですか。
斎藤
 昨年のヨーロッパ・ツアーの時、彼の車で移動した沢井一恵さんの話では、ずっとコリアン・ミュージックを聴いてたって。
福島
 じゃ前から勉強してたんだ。ドネダは、その時に斎藤さんのテープで初めて金石出を聴いたって話でしたね。
斎藤
 そう聴いた途端、こんな直立不動になっちゃってね。俺はこの人が来たら、カバン持ちでも何でもするって。純粋なんですよ。有名になって…みたいな上昇志向ないし。だから平気でストリートでもやるよ。レ・カンもね。それはすごく誇り高くやるんですよ。ストリートではショーロだって言ってピシンギーニャとかやる。それがすっげえ上手いんですよ。僕も好きだけど。
大里
 民族音楽に関しては、ヨーロッパ、特にフランスにはレコードがいっぱいあるんですよ。そこから得る知識というのは相当大きい。例えばドーニク・ラズロ(as)とドネダの『ジェネラル・グラモフォン』に、ユーゴとどこかのトラッド曲が入っているんだけど、あれは僕、元の曲を持ってますよ。明らかにこのレコードのこの曲を聴いてコピーしたなというのがわかる(笑)。
福島
 つまりOCORAとかAUDIVISの蓄積の成せる業だと。
大里
ええ、相当聴き込んでいる。もちろん知らないうちに民族音楽が入り込んでいるというのもあるだろうけど、あるところから、そういうものからネタを拾おうと意図的にやっている。というのは、フリー・ジャズはもう終わっているから。つまりブラック・ミュージシャンがぶきーっと吹きまくった後に何があるかというところから、彼らは始まっている。フランソワ・テュスク⑬『インターコミューナル・ミュージック』はめちゃくちゃやってるけど、あれ以降無軌道にぶきぶきやってるやつはほとんど出てないでしょう。『オペラシオン・リノー』という、沖至(tp)もジャック・ベローカル(tp)⑪もこの辺全員入った七六年のアルバムがあるんだけど、ぶきーって吹いて、それがそのまま政治的な抵抗を表すかというおそらく最後の作品。そこから先は、政治と音楽の結びつきがもっと微妙なかたちになっていく。『ジャズ・フリー』という本があるけど、あれは初版が七二、三年頃で『フリー・ジャズ、ブラック・パワー』が原題。ブラック・パワーの音楽としてのフリー・ジャズがありましたよという総括なんです。それが終わったところからフランスというかヨーロッパは出発している。そこから先、何をとりいれてやっていくかとなった時に、民族音楽は使えるなと思ったんでしょう。

 ■アンガジェする音楽
福島
 コレット・マニー⑫やロシアのヴィソツキー、カタロニアのルイス・ラックといった権力に抵抗する歌手たちを集めたChant du Mondeレーベルからの『世界の新しい歌手たち』シリーズも、それと平行していますね。このレーベルは民族音楽とかも出している総合レーベルなんですが、もう一方でやはりアンガジェ(政治参加)する音楽ということでフリー・ジャズを出している。70年代前半くらいかな。そういう意味で、すごく時代を象徴してるレーベルですね。けれど、そうした抵抗としてのフリー・ジャズみたいなものの中に、もう次の芽がしっかり組み込まれているようなところがある。演劇的なものであったり、複雑に入り組んだ構成であったり、エネルギー・ミュージック、破壊のための音楽というだけでない別の音楽がもうスタートしている。
大里
 コレット・マニーは五月革命(六八年)のルポルタージュのレコードをつくってる。彼女自身は二曲くらいしか歌ってなくて、ほかは全部街頭録音とかのドキュメンタリーなんです。もう左翼的良心の産物(笑)。これは最初マイナー・レーベルから出たのを、Chant du Mondeが再発したんですね。
斎藤
 ドネダの話ばっかりなんだけど、家で子供といっしょ歌っているのはブラッサンスなんですよ。ああいう反権力みたいな素地は脈々とあって、そういう中から政治的盛り上がりが出てくるんでしょう。そういうのもともとある。毎日「リベラシオン」読んでるし。
大里
 はいはいはい。「リベラシオン」紙は学生は絶対読まないといけないの。「ル・モンド」は読まなくても「リベラシオン」は買うと。私もずっとそうでした。そういう流れってあるんですよ。

 ■シャンソン
大里
 さっき出たシャンソンの話だけど、Natoではベレスフォードとかロル・コックスヒル(ss)とか法貴和子(vo)とか、フランス人じゃないミュージシャンを使って、外から異化しようとしている。やはり中からだと身近過ぎてできないのかもしれない。レオ・フェレやブラッサンスで遊ぼうとは思わなかったんでしょう。そのへんNatoは上手かった。初期の頃はもっとフランスのシーンに密着していたんです。何と言っても一枚目はベブ・ゲランの追悼アルバムですからね。ヴィオレッタ・パラとかもあるけど、あれは異化というより正統派左翼音楽だから。後になるとどんどん異化する方向が入ってきて、例えば『ゴダール』に至る。『ゴダール』はやっぱりポイントですよね。ジョン・ゾーンのカットアップもここで初めて出現したわけだし。

 ■シドニー・ベシェ
斎藤
 ドネダがシドニー・ベシェをやったのは出たの?
福島
 出てますよ。トリビュートのオムニバスですね。
斎藤
 あれはエルヴィン・ジョーンズとのデュオで、呼ばれていって、一時間くらいフリーでリハーサルをして録ったんだけど、そのリハーサルがすごかったんだって。で、ドネダはベシェはもちろん知ってるんだけど、他にもすごく勉強してるのね。トリスターノ・ラインのコニッツなんかを指ならしでぱーっと吹くんですよ。あれはちょっと聴いたことないくらい正確に速く吹いた。しかもソプラノで。基礎的なものは相当やってますね。蓄積している量というのは日本のミュージシャンとだいぶ違う。しかもそれを出さない。
岡島
 スクラヴィスも技術的に相当なところまで行ってる。
大里
 アンリ・テクシェ(b)⑦のところで随分鍛えられたみたい。
福島
 彼の操るエキゾティズムっていうのは、身体や記憶の中から出てくるっていうより、かなり確信犯的に外からとりいれてやってる感じですね。その完璧な技術でもって。
岡島
 ベシェって、フランス人の中にはジャズってものと分かち難くあるんでしょうね。古典として。
大里
 だってフランスの名前だし。ジャズってルイジアナから出てきて、あのへんてフランスからの移民がいっぱいいて、だからジャズの創成にはフランスが関わっていると確信している人たちがいるのね。俺たちがジャズを生んだんだって。だいたいニュー・オリンズって言わないでヌーヴェル・オルレアンだからね(笑)。ベシェはそうした典型的存在ですね。
岡島
 その次がジャンゴ。

 ■SILEXレーベル
福島
 Natoが外からの視点をうまくとりいれて、言わば複眼的に相対化や異化を進めていったのに対し、SILEXレーベルは最初から民族音楽、トラッド・ミュージックに的を絞って、一方でスクラヴィスのような即興のできる演奏能力も非常に高いミュージシャンを入れて、フリー・ミュージックとも融合させながらものすごく洗練されたものを出し、もう一方で聴きやすさなんか気にとめずに、非常に突き詰めたかたちでピュアなものを出していった。八〇年代末から九〇年代にかけて、これも非常に面白いレーベルだと思うんです。
大里
 彼らはジャズとは思ってないでしょうね。フォークの変容という風に位置付けてると思う。
福島
 SILEXから出てるヴァランタン・クラストリエ⑯あたりから、ドネダやルイ・スクラヴィス⑤なんかまで含んで「フォルク・イマジネール(想像的フォーク・ミュージック)」という言い方をよくしますね。これは大里さんが連載で紹介されていたARFIなんかともつながる。僕なんかは、このへんがフランスのシーンの面白さの核心という感じがするんですけど。

 ■ワールド・ミュージックの先駆
大里
 例えばマダガスカルのミュージシャンを最初に使ったのは、ジェフ・ジルソン(p)なんですよ。ヴァリハという竹製の楽器をとりいれている。バルネ・ウィラン(ts)も『モシ』で、映画撮る人とアフリカ回った時の現地録音に、そのままグループの演奏をかぶせている。全く文化帝国主義なんだけど、その組合せ方は非常に面白い。そういう意味で、やはりワールド・ミュージックの先駆なのがブリジット・フォンテーヌ。旦那のアレスキはアルジェリアかどこかのカビールという少数民族の出身で、そのへんがはっきり出ているのは、むしろ有名な『ラジオのように』じゃなくて、サラヴァの四枚目⑮やそれに続くBYGからの作品ですね。シャンソンでもなく、ジャズでもなく、「ブリジット・フォンテーヌ」自体がジャンルって感じですね。まるで孤島のようにあって。
福島
 でもジャン・ケリエ(cor anglais)とかシャルル・カポン(vc)とかが参加していて、実は結構緊密につながっていたことが、後から見えてくる。
大里
 本当は「サラヴァ」レーベルが背景にあるんですね。「サラヴァ」はどの程度日本に入ってきたかわからないけど、一般には例の『男と女』の「ダバダバダ」でしょう。シャンソンの好きな人は知ってたけど、彼らは「サラヴァ」のジャズは知らなかった。一方、ジャズの好きな人は「サラヴァ」を知らなかった。スティーヴ・レイシー(ss)とか出てたのに。

 ■ワールド・ミュージックの風景
福島
 フリー・ジャズの運んでくる幻想の風景としてのブラック・アフリカが、フリー・ジャズといっしょに終わっちゃうと、今度は抑圧されていたオクシタンやブルターニュ、バスクとかの地域文化が、トラッド復興ですれ違うように現れてくる。その一方で移民を通じて旧植民地の音楽がワールド・ミュージックに加工されてくる。
大里
 いわゆるワールド・ミュージックというのは、まず圧倒的に地元の音楽だよね。例えば、西アフリカ出身の移民のコミュニティでは誰も北アフリカのワールド・ミュージックを聴いてない。サリフ・ケイタだって、マリの人たちはおらが国の音楽として聴いている。ボーダーレスに楽しむというのは白人や日本人のディレッタントだけでしょう。
斎藤
 僕の好きなミュゼット⑲だって、もともと移民の音楽。イタリアとかポーランドとか。でもフランスの音楽ということになってる。リシャール・ガリアーノ⑱はいいですよ。ジャズを感じさせます。アルゼンチンの軍政から亡命してきたタンゴ演奏家も多い。モサリーニ⑳とか。
大里
 実際移民が来て、居て、するとそこには何か音楽があってしまう。ムーヴメント云々の問題より先に。

 ■これからのシーンへの期待
斎藤
 インプロヴィゼーション自体が破片化していってしまって、みんな打楽器的にぷちっぷちっと。これはどうしてという話をよくしたんだよね。哲学的に不可能性の問題とかいうより、もっと身体的にとらえたい。現場の人間だから。自分が韓国で救われたようなものを、彼らはどう考えるのだろうかという。そういう意味でドネダとかアラン・ジュール(perc)とか、いっしょにやりたい人がいますから、これを韓国や日本のミュージシャンと結びつけていきたい。
大里
 今まで移民や何かで人が動いたから、それに音楽がくっついてとなっていたけれども、そうじゃなく触媒ということですね。
斎藤
 そう触媒。おおげさに何をぶつけようということじゃなくて、個人的に知っているもの同士を会わせようということですね。アランは既にケンガリとチンを持ってるし、ドネダはホジョクを持ってる。そういうところからですね。
大里
 いまさら「東洋の神秘」という発想はないだろうし。
斎藤
 そうですね。でも東洋のエキセントリズムみたいなものへの憧れは残ってるみたい。フランス人は特にかもしれないけど。やっぱり、そういうものはいつまでも持っていて欲しくはない。
大里
 この間斎藤さんからお話をうかがって面白かったのは、金石出って神を見たことないって言うんでしょ(笑)。シャーマンでありながら、なんかもう自分を脱構築、脱神秘化してるよね。そういうものをぶつけていけば、西洋の側も認識が変わってくるんじゃないかな。
斎藤
 リズムとかビートに戻ることをインプロヴァイザーは避けてる。なのに民族音楽系でやる時は、それを入れていく。
福島
 使い分けている。
斎藤
 そう。いろいろ触媒していけば、そのへんがすっきりするんじゃないか。例えばバールとドネダたちとでは世代が違う。バールはパルスものまではいいんだけど、それがグルーヴをつくりだすと、「ああロックンロール」っていって嫌がるのね。
大里
 クラシックで最近顕著なのはネオ・ロマンに帰る動きです。ポスト・モダンだから何をやってもいいと言いながら、古いものに安住して、美しいメロディや心地よいビートに至る。アルヴォ・ペルトとか気持ち悪くてたまんない。堕落してると思う。その時に民族音楽を通じて、しかも自前のだけじゃなくて、身についていない民族音楽も入れて、しかも文化帝国主義じゃなくやっていけたらいいんじゃないか。
福島
ポスト・モダンなパッチワークにしろ、ノイズへの傾倒にしろ、いいかげん飽和/閉塞してきている。そうした加速や断片化の強制に抗う骨太な音がここにはある。もちろん、旧来の「伝統」へと回帰/自閉してしまう恐れもあるんだけど、いま別の可能性が確かに開けている。これからも注目していきたいと思います。

①Joelle Leandre/Les Douze Sons
②Joelle Leandre/Urban Bass
③Michel Doneda/Terra
④Michel Doneda,Le Quan Ninh,Dominique Regef/Soc
⑤Louis Sclavis/Ad Augusta Per Angustia
⑥Louis Sclavis Sextet/Ellington On The Air
⑦Henri Texier/
⑧Barre Phillips/Aquarian Rain
⑨Tamia/Sensa Tempo
⑩Un Drame Musical Instantan /Urgent Meeting
⑪Catalogue/Insomnie
⑫Colette Magny/Visage-Village
⑬Francois Tusques/Free Jazz
⑭Vinko Globokar/Globokar By Globokar
⑮Areski Et Brigitte Fontaine/Brigitte 4
⑯Valantin Clastrier/Heresie
⑰Benat Achiary/Arranoa
⑱Richard Galliano/Solo In Finland
⑲Richard Galliano Quartet/New Musette
⑳Mosalini-Beytelmann-Caratini/La Bordona


 ●ディスク解説

 本文の補足をいくつか。豪華ゲストを迎えての即興セッション風な①(とはいえ軽やかなエスプリが香る)に対し、②はコンポーザー・パフォーマーたるレアンドルの面目躍如たる自作自演集。一方ドネダ(本誌前々号のインタヴューを参照)については、エスニックなスパイスの効いた瑞々しい③と、演奏がよりミクロな局面に戦場を移してせめぎあい、むしろシャーマニックな別空間へと転移してしまう④をやはり挙げたい。⑥は鮮やかに遺伝子を組み替えられたエリントン。⑤のほとばしるユーモアと共にスクラヴィス(及びその周辺人脈)の類い希な知性を味わって欲しい。多重録音による女性ヴォイスが、うたや即興とは別の古代的な時間を運んでくる⑨は、総毛立つほどに美しい。⑩は仏フリー界のVIP連がゲストに顔を揃えたUDMIとの緊密にして親密な共同作業。ベローカルの異能ぶりが甘く舌を刺す⑪は本リスト中の異色作。極度に洗練された野蛮な退廃。⑫~⑮は言わば必聴の古典。仏フリー・ジャズ界の言わば「産婆」役を務めたコレット・マニーの声の強靭な力。仏フリーの嚆矢⑬の幾何学的な明澄さ。過剰な身振りと苛烈なノイズの圧倒的流出⑭、⑮は『ラジオのように』の直接的で荒削りなプリミティヴ・モダニズムを離れて、むしろ優雅なモロッコ的迷宮世界をつくりあげている。もはや歴史的名盤というべき⑯からはさらに民族色が強まる。バスク出身の男性歌手ベニャ・アチアリによる⑰(本号新譜レヴュー参照)。アコーディオンの第一人者ガリアーノからは、ソロで「小さなオーケストラ」の可能性を追及した⑱とむしろピアソラ的に鋭利なミュゼット解釈⑲を。先頃来日し、素晴らしい演奏を聞かせた(その模様は大里氏によるCS番組『ワールド・オヴ・フォーク・ミュージック』でオン・エアされ、好評を博した)モサリーニ(bandoneon)はタンゴ・スタンダードで固めたトリオ第一作を。ミンガスとモンクを含んだ第三作『ヴィオレント』もお薦め。なお、選盤にあたっては入手の容易さも考慮したことを付け加えておく。


Valentin Clastrier / Heresie(silex)
何度でも挙げてしまう歴史的名盤。
この作品と巡りあえたのも大里俊晴のおかげ。

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書評/書籍情報 | 23:18:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
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