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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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Yui Onoderaさんからコメントをいただきました
 Yui Onodera(小野寺唯)さんから以下のようなコメントをいただいた。ありがとうございます。


 遅ればせながらコンサートに足を運んで頂きどうもありがとうございました。「アヴァン・ミュージック・ガイド」は当時の私のバイブルで、日焼けしてボロボロになってしまいましたが、いまでも手を伸ばせばすぐに引っ張りだせるところに保管しております。あれから10年以上経過し、状況もゆるやかにそして大きく変化しております。ボリューム2の発行があるならばとても期待してしまいます!コールハースのGeneric Cityとの関連について気付いてくれたのは福島さんが初めてでしたので、大変嬉しく思っております!どんどんグローバル化してゆく世界で地域性をアイデンティティとしない(それよりももっとパーソナルは背景を基盤とした)建築・都市がスタンダードである現代都市の状況は現在の音楽状況にもすごく当てはまるような気がしています。かと言って簡単にオリエンタリズムに迎合するのではなく、状況を表現しようとしたという意味において福島さんのプレゼンテーションという表現にはすごくしっくりきました。ぜひ一度お時間許すときにでもゆっくりお話させていただければ幸いです!


 レヴューの対象としたのは、昨年11月23日に六本木Super Deluxeで行われたライヴ(レヴュー掲載は11月29日)。そこで私は小野寺さんとCelerのコラボレーションによる「Generic City」の演奏を「この日のハイライトであり、一番の収穫」としながらも、次のような欲張りな注文をつけていた。


 あえて課題を求めるとすれば、タイトルとして掲げられた「Generic City」との関係だろうか。彼らの演奏は、ちょうど都市をさまよい歩くうちに様々な異質な風景に出会い、その遊歩を通じて都市の多様性を発見し、映し出していくものである。そこで確かに「遊歩者の視線」の下に都市の風景は「生成」していくと言っていいだろう。しかし、先に述べた電子音に象徴されるように、それらの風景はひとつひとつ対象化され、対象化された風景はひとつひとつゆるやかに切り離された点景(微妙に隣り合うにしても)として浮かび上がる。ひとつの風景の中で異質なもの同士が出会うことはない(このことは作品化されたCDでも基本的に変わらない)。演奏はまさに夢見心地のうちに進み、聴衆の耳を覚まさせることがない。同じく「Generic City」をキーワードに掲げた建築家レム・コールハースが描き出したのは、資本の圧倒的な流動と民衆生活の生々しいパワーのぶつかり合いによって、都市計画なぞ乗り越えて劇的に変貌を遂げていくシンガポールや上海、あるいはラゴスの風景、ノスタルジックな視線などはねつけて、沸騰するが如く野放図に生成していく都市の姿ではなかったか。
 彼らの見事な「プレゼンテーション」(「演奏」というよりも、そう呼んだ方が適切なように感じられる)を、「心象風景的」とは言えない。彼らの提示する音世界の豊かさは、決して甘やかに自閉したものではない。にもかかわらず、都市の喧騒を縫いながら、時折聞こえてくる子どもの声に、読経の響きに、懐かしくも変わらない人々の暮らしの物音に、ふっと安らぐ‥という心性が、演奏の基調として揺るぎなく据えられていることは、やはり疑いを入れないように思われる。サウンドスケープ的な作品が、無意識のうちに自らに課してしまう枠組み(暗黙の前提)について、今後も引き続き考えていくことにしたい。


 この時、私は、その前に体験することのできた「可能空間 Possible Spaces」で感じたフィールドレコーディングを素材とした演奏(アンビエント・ミュージックとかサウンドスケープということになるのだろうか)が、暗黙のうちに前提としてしまうある枠組みの存在について考えていた。それを問題化し、ここでの彼らの演奏に投影しているわけで、いささか一方的/独断的かなとも思っていた(それゆえ最後に課題を引き取る形になっている)。そうであればこそ、こうした問題意識が、演奏者の当初からの問題意識やその後の発展の経路と触れ合っていたことを、とてもうれしく思っている。
 フィールドレコーディングによる環境音の録音が、いわば機械による記憶である以上、そこに人間の記憶に対する動機付けが重なって、「滅びゆく音に耳を澄ます」ことになるのは、ある意味避けがたいことなのかもしれないが、それが感傷で終わってしまったり、あるいは「録音に(あるいは映像に)残した記録は永遠に残る」みたいな話になってしまうのは、ちょっとどうかと思う。そうした点からも、街の路地裏を歩き回り、そこここの音風景にじっと佇み見守るような(そして表通りの雑踏や喧騒からも眼をそらさない)彼らの絶妙な距離のとり方を高く評価したい。それは彼らのコラボレーションの賜物であり、常に違う視点からプロセスを眺め検証することが、そうした強靭な眼差しを生んだのだろう。

 彼のウェブ・ページ(http://www.critical-path.info/)によれば、ライヴやニュー・アルバムの準備中であるようだ。今後の彼の活躍に期待したい。



レム・コールハース「S,M,L,XL」
とてつもなくでかい本。
建築本界のマツコ・デラックスか。

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音楽情報 | 21:54:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
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