2011-01-28 Fri
「伝説のアシッド・フォーク・シンガー」サイモン・フィンが来日する。前回お伝えしたように、音楽誌「ユリシーズ」が来日公演に関わっていて、その関係で私のところにポスター/パンフレットへの執筆依頼が舞い込んだ。すでにサイモン・フィン自身のインタヴューも取れて、バイオグラフィ、ディスコグラフィと共に掲載予定となった時点で、これだけではあまりにも「閉じている」との印象を与えてしまうのではないか、彼を孤高の存在に祀り上げてしまうことになるのではないか‥との疑義が芽生え、言わばサイモン・フィンという存在を外に開くための「補助線」を引く企画が求められることとなった。結局、それは「サイモン・フィンと一緒にこれを聴け」的なものにまとまり、締め切りまで間のない中で、私のところにも依頼が来たという次第。「300字で参考ディスクを1枚挙げる」という枠組みに対し、私が提出した原稿は次のようなものだ。サイモン・フィンはずっと私の〈護符〉だった。岡崎京子「リバーズ・エッジ」の白骨死体のように。おそらく彼自身にとっても。人生の第一歩を守るべき境界が溶解し悪夢化するジャケットがそれを物語る。花々がしおれ、夢が嘘に変わる時代、「スローターハウス5」や「結ぼれ」と共に危険な深淵を指し示す心優しき作品。線が細くおぼろな音はアンビエンスと共にとらえられ、ノイズも鳥の声と同様、世界の透明なざわめきと化す。聞こえてくるのは今へとつながらない奇妙な過去。「エルサレム」はウィリアム・ブレイクを突き抜け、ベドラムを脱け出した吟遊詩人の幻に至る。ハリー・スミスが同じ奇妙さを封じ込めた箱を傍らに。
参考ディスク/Anthology Of American Folk Music(Smithsonian Folkways Recordings)

300字ということで思い切り圧縮したので、なくもがなの「解題」をさせていただこう。まず、サイモン・フィンという強力な〈神話的〉磁場を有する存在を外に向って開いていくためには、まずは「アシッド・フォーク最高峰」とか「デヴィッド・トゥープ参加」といった既存の受容の文脈から、彼と彼の作品をいったん引き剥がす必要がある。それゆえ与えられた300字を、私は極めて私的な告白から始めることとした。初めて彼の『パス・ザ・ディスタンス』を聴いた時の鮮烈な体験は、同時代の記憶である岡崎京子の漫画作品「リバーズ・エッジ」へと結び付けられる。彼女の代表作のひとつである本作品において、誰のものとも知れぬ白骨死体は、学校の近く(川のそばでもある)深い草むらの奥に横たわっていて、壮絶ないじめを受けている少年の「護符」となっている。「何かこの死体をみるとほっとするんだ。」、「自分が生きているのか死んでいるのか、いつも分からないでいるけど、この死体をみると勇気が出るんだ」と少年はつぶやく。
『パス・ザ・ディスタンス』に針を落としたとたんに流れ出す高純度の実存不安。冥府へと降りていくような得体の知れない声の深さ、震えるようなアンサンブルの揺らぎ、突如としてほとばしり出る怒気の奔流、荒れ果ててばらばらに解けていく音の軌跡、それらを吸い込む底の知れない虚ろな空間、死の川に浮かび漂うような安らかさ‥。そこに生臭い身体の痕跡はない。疲れ果て、荒れ果てて、雨に洗われ、からからに乾き尽くした果ての清々しい美しさ。荒れ果てた部屋に訪れる夜明けにも似た、張り裂けんばかりの轟音の核のしんとした静けさや、どきどきするような不安、放心状態であてもなく漂うやさしさは、行き着いた果ての確かさのようなものを感じさせた。
それはおそらくサイモン・フィン自身にとっても同様だったのではないか。『パス・ザ・ディスタンス』のジャケットには、よちよちと歩みだす幼児の姿が描かれているが、これには明らかに「原画」が存在する(どうも子ども靴の広告の図柄らしいのだが、詳細は確認できなかった)。その「原画」をそのまま写したとおぼしきセカンド・ヴィジョン『ファースト・ステップス』のジャケットと比較するならば、それがよれよれと歪んでいく描線による「稚拙な」模写であることがわかるだろう。整然と設えられた柵と並木に護られて踏み出す、祝福すべき人生の第一歩は、強迫的な高い塀に閉ざされた、どこへ向うのかわからない不安な道行きへと置き換えられている。さらにこの図柄は『パス・ザ・ディスタンス』の裏ジャケットにおいて反復されるのだが、そこでは拙さを通り越して、決定的な悪夢化を来たしている。禍々しい悪夢に飲み込まれないために、その彼方にある狂気や死をまっすぐに見つめること。
そこまで見ておいて、改めて作品を元の時代の中に置きなおすとしよう。『パス・ザ・ディスタンス』が制作された70年は、華やかなフラワー・ムーヴメントが終わりを告げ、「五月」を賑わした政治の季節が去って、すべてが剥き出し資本の論理に飲み込まれていく時代だった。破綻した「ユートピア」の夢に「がっかりするな。人間は昔からそうだった。」と苦く酸っぱいなけなしの希望が提示される。たとえば連合軍のドレスデン爆撃を(捕虜として爆撃を受けた側から)描いたカート・ヴォネガット「スローターハウス5」(1969年)や反精神医学を標榜したスコットランド生まれの精神科医R.D.レインが対人関係の結び目にとらわれた人間の姿を見つめた「結ぼれ」(1970年)がそうだろう。また、この時期はカート・ヴォネガットの長男マークが、自ら「エデン急行」(1975年)で振り返っているように、彼のユートピックなドロップアウト生活が狂気(急性精神病)へと至る期間でもある。
録音に際し、サイモン・フィンを手助けしているのは、当時、彼の出演していたライヴハウス「ラウンドハウス」でバイトしていた若き日のデヴィッド・トゥープとポール・バーウェルである。揺らぎを多く含んで、まっすぐに積み上がっていかない演奏は、声にまるで幽霊のようにまとわりついて、聴き手の気分にさざ波を立て、ゆっくりとかき乱していく。サイケデリックの王道とは異なり、充満へと向わず、むしろ人を不安にさせるほどのアンビエントな広がりを志向した録音は、トゥープのその後の歩みを暗示しているようだ。もちろん、彼はいきなり「アンビエント・ミュージックの導師」となるわけではない。盟友バーウェルと共に創作楽器の演奏者としてオブスキュアから作品をリリースする一方で、デレク・ベイリーが創設した即興演奏者のプール「カンパニー」で常識外れなマラソン・コンサートを仕掛けるなど、スティーブ・ベレスフォードと共にフリー・ミュージックの制度製や高踏性を激しく攻撃するアンファン・テリブルとして活動し、民族音楽、ブルース、チープで粗野な手製のポップ・ミュージックに、共通する野生の香り、原石の輝きを見出していくことになるだろう。
一方、サイモン・フィンはと言えば、彼の特異な音楽性がその後のムーヴメントに影響を与えることはなかった。彼は文字通り姿を消してしまったのだから。30年後にデヴィッド・チベット(カレント93)によって再発見されるまで。
とすれば、彼は本当に突然変異的な「孤高」の存在でしかないのだろうか。彼のヴィジョンの根を求めて、彼がイエス・キリストのことを歌った「ジェルーサレム(エルサレム)」を見てみよう。そこでイエスは偉大なる神の子ではなく、不思議に人を惹きつける魅力を持った(コミューンの)「同志」として描かれている。そこには民衆革命的な「千年王国」のヴィジョンが確かに脈打っている。
イエスはドロップアウトにして、王冠のない王様。髪を風になびかせている。
イエスは漁師だった。彼はこう言いさえすれば良かった。
「弟子たちよ私に続け。人生を違う道に導け」
イエスはイチジクとワインで生きてるいいヤツだった。
その時彼は2億人の偽善者たちが彼の名を褒め称えるなんて想像できただろうか。
気が触れるまで涙を流し続け、私は叫んでいた。
「ジェルーサレム」に千年王国と来れば、ウィリアム・ブレイクと彼の後期預言書「ジェルーサレム」が思い浮かべないわけにはいくまい。そして幻視者ブレイクは独自の終末論と千年王国への志向をたたえた17世紀の神秘主義的な過激セクト「ランターズ」の流れを汲んでいた。サイモン・フィンもまた、この想像力の地下水脈に連なるのではないか‥と言えば、誇大妄想に過ぎるだろうか。フラワー・ムーヴメントの甘い夢想としてのユートピア志向が、60年代末の挫折を経て先鋭化し、古から連なる秘められた地下水脈(エクスタシーによる神との合一を目指す)を掘り当てるに至ったのだと。ここでベドラムが14世紀半ば以降、癲狂院としての役割を果たし、後には狂人たちが見世物としてロンドン市民の娯楽に一役買っていたことは、今更説明するまでもないだろう。それは現在へとつながらない、切り離された奇妙な「過去」にほかならない。「魔術師」ハリー・スミスがレイス・ミュージックのSP盤を漁って掘り起こした「古く奇妙なアメリカ」のように。
もちろん、ハリー・スミスとサイモン・フィンが直接的なつながりを持っているわけではない。アパラチアン・ミュージックに英国音楽が流れ込んでいることは確実であるにしても。けれど私には、ハリー・スミスがあの赤い箱に封じ込めた奇妙な古さが、サイモン・フィンという「亀裂」を通して、一瞬噴き出したように感じられるのだ。ぜひ、あなた自身の耳で確かめてみてほしい。「アメリカン・フォーク・ミュージック・アンソロジー」の重要性を知る者に聴かれるなら、きっとサイモン・フィンも喜ぶことだろう。「補助線を引く」とは元々なかった線を仮構して、世界の見え方を、物と物との関係を転換することであるならば、このイマジナリーな線はきっと「補助線」たり得ると思うのだ。
セカンド・ヴィジョン/ファースト・ステップス

サイモン・フィン/パス・ザ・ディスタンス(表)

サイモン・フィン/パス・ザ・ディスタンス(裏)

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いくつかヴァリエーションがあり、おそらく長年同じ絵柄を使っていたものと思われます。同社のウェブサイトにもシンボルとして使われています。
http://www.sterlingtimes.co.uk/memorable_images66.htm
http://www.sterlingtimes.co.uk/memorable_images66.htm
2015-01-08 木 23:10:23 |
URL |
さいとう
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ご教示ありがとうございます。これで長年の謎がやっと解けました。
コメント欄だけのやりとりではもったいないので、
後ほどブログ記事にさせていただこうと思います。
> いくつかヴァリエーションがあり、おそらく長年同じ絵柄を使っていたものと思われます。同社のウェブサイトにもシンボルとして使われています。
> http://www.sterlingtimes.co.uk/memorable_images66.htm
コメント欄だけのやりとりではもったいないので、
後ほどブログ記事にさせていただこうと思います。
> いくつかヴァリエーションがあり、おそらく長年同じ絵柄を使っていたものと思われます。同社のウェブサイトにもシンボルとして使われています。
> http://www.sterlingtimes.co.uk/memorable_images66.htm
2015-01-10 土 11:32:33 |
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福島恵一
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