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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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小野寺唯(yui onodera)さんと話したことから
 小野寺唯さんと先日少し話す機会があった。と言っても、インタヴューなどという改まったものではなく、雑談を交わした程度なのだが、その時印象に残ったことを書いてみたい。


 彼によれば、今のやっているようなアンビエント、フィールドレコーディング、あるいはエレクトロニカ敵な音楽を制作するきっかけとなったのは「イーノ体験」なのだと言う。イーノを初めて聴いたのは学校の授業でのことで、午後の陽だまりの中、食後のまどろみに『ミュージック・フォー・エアポーツ』がゆったりとかぶさりしみこんでくる体験が、とても不思議で今までにない新鮮なものだったと。これを「イーノによってもたらされるアンビエントへの道程」ととらえればあまりにも当たり前過ぎるが、私に強い印象を残したのは、バンドをやっていて、ギターを学んでもいた、音楽をはじめ文化に強い関心を持つ若者が、それまでイーノを聴いたことがなかったという事実の方だ。私が「青春」を過ごした80年代、イーノが「神」だった時代には、到底考えられないことだろう。しかし、前世紀末の日本は80年代からそれだけ深く断絶していたのだ。

 イーノに魅せられた彼は、彼を出発点として、ミニマル・ミュージックやエレクトロニカを同時に発見していくことになる。そうした時期に「アヴァン・ミュージック・ガイド」が良きガイドブックになったのだろう。彼はバンド活動を休止し、ひとりPCに向って音楽をつくり始める。やがて第二の転機となる「リュック・フェラーリ体験」が訪れる。
 こちらにはイーノの時のようなシチュエーションの記憶は伴っていないようだ。その意味で前者が生活時間的なものとすれば、後者はよりテクスト的なものと言えるかもしれない。それではフェラーリがもたらしたものとは何か。彼によればそれは「素材となる音をあまりプロセッシングしてしまわず、「生」のまま用いる」ことだそうだ。フェラーリの師であるピエール・シェフェールが、切断/変形により音をもともとの文脈から「根切り」し、文脈によってもたらされる意味から解き放って、抽象的な造型/運動へと向ったのに対し、フェラーリがむしろ断ち切りがたく残存してしまう文脈/意味に注目し、それをこそ操作する「寓話的音楽」を方法論として掲げたことは、広く知られていよう。それはある種の「逆転の発想」なのだが、ここではむしろ、PCによる音響加工を最初から前提にして、加工による整除された均質化からヘテロトピックな(あるいはアノマリーな)混在へ。それは思考/視点の転換と言うよりは、むしろ音の「手触り」や音風景の「見え」の転換と言うべきだろう。

 彼は気持ちいいだけの音楽をつくる気はないと言う。「もっとコンセプチュアルなものを‥‥」という彼の弁を聞いていると、彼が求めているのは別にかつてのフルクサスのようなコンセプチュアル・アートではなくて、心地よさをはみ出す過剰さ、思考を刺激/触発する何物か、あるいは構築へと向う意志とでも言うべきものであることがわかってくる。Celerとのコラボレーションによる『Generic City』がレム・コールハースを参照していたように、彼が建築に惹きつけられていくのは、この構築性への志向ゆえだろう。『Generic City』のレヴュー(彼の自主レーベルCritical PathのHPで読むことができる。http://www.critical-path.info)を金子智太郎に依頼したのも、彼が建築系雑誌「10+1」に執筆した文章を見てのことだと言う。

 「音楽をアートにしたい」と彼は言う。誤解を受けやすそうな発言だが、別に「音楽の村上隆」になりたいということではないはずだ。あるいはクラシック音楽の延長線上で星になりたいわけでも。サウンド・アートが旧来のアートの枠組みに素材として音を持ち込んだだけなのに対し、音そのものをアートにしたいとも。と同時に、これからも様々な機会をとらえて、コラボレーションを続けていきたいと語る。彼によれば『Generic City』に対するレヴューの多くは、「今までのOnoderaの作品にもCelerの作品にも似ていない」と評していると言う。確かにそれは、きらめく音のレイヤーを敷き重ねた美麗なドローン・アンビエントにも、『Suisei』の繊細なプロセッシングによる物語性を排したコンクレートな構築にも、あるいはCelerがいつも見せる柔らかく暖かな風合いの色の帯のにじみ/重なりの無時間的な(金太郎飴的な?)移ろいとも異なっている。彼は手っ取り早く「小野寺印」を確立するよりも、共同作業を通じて自分の新たな側面が開かれていくことを楽しんでいるようだ。『Generic City』で聴かれる狭い路地に迷い込んだ眼差しがとらえたスナップショットのような音の点景は、Celer的なゆるやかさを身にまとうことにより、自らを吊り支える。コラージュ的な多視点よりも、気ままにゆったりと街路を経巡り、時とところを移していく視点を思わせる。あのように音風景をポンッと切り出し、さりげなく大胆に置いてしまうことは、おそらく彼だけだったらできなかったろう。Celerとサウンド・ファイルをやりとりする中で、いろいろな変化があったと彼は語っていた。ただ音を重ねていくのではなく、そこで見えてくるもの、紡がれた関係性に眼を凝らすこと。厚塗りの装飾を剥ぎ取って、加工していない音素材をそのまま配置してしまうこと。プロセッシングよりも空間/時間的な配置に配慮し、やりとりの中で2人の関係を変えていくこと。そうしている限り、彼は外の風に新しい皮膚をさらし続け、新たな可能性を開いていくことができるだろう。



Brian Eno / Music for Airports


yui onodera / suisei


yui onodera
the beautiful schizophonic
/ Radiance

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音楽情報 | 02:20:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
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