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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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音のうぶ毛、響きの肌触り Tactile Sounds vol.1@SAKAIKI, Yotsuya 20th Mar,2011
 昨日ご案内したTactile Sounds vol.1を聴きに行った。ヴィンテージ・オーディオに飾られた隠れ家風という喫茶茶会記にも行ってみたかったし。
 結論から言えば、優れたコンポジションを優れた演奏により、居心地の良い空間で、響きに触れるように聴くことができた。その点で上出来のライヴと言ってよいだろう。特に橋爪によるコンポジションは、日本音階とか、オールディーズの引用といった記号操作に頼らずに、アドレッセントな叙情を鮮やかに(しかもすらりとさりげなく)描き出す点で、「日本のジャズ作品として優れている」という次元ではなく、普遍的な価値を有していると思う。NHK-BSあたりの質の高いドラマ作品のエンド・ロールで流れて、それを耳にし打たれた視聴者が音楽担当者のクレジットに注目すると、そこに彼の名前がある‥‥というようなことが、いますぐに起きても何の不思議もあるまい。
 今回の演奏に限って言えば、「触覚」というコンセプトをあまり重くとらえる必要はないのではないか。むしろそこに耳の焦点を当ててしまうと、かえっていま眼前で演奏されている音楽を取り逃がしてしまうように思う


 四谷三丁目の交差点から少し歩いて、児童遊園の角を曲がり、専門学校と敷地続きの、学生寮なのか、ちょっと不思議な構造をした白い建物を横目に見ながら通り過ぎると、私道の入り口に立てられた喫茶茶会記の小さな案内が眼に止まる。その奥に喫茶店やカフェらしき店は見当たらないが、恐る恐る進むとそれらしきドアがある。ドアを開けると、どこか遠く離れた別の場所につながっているように、カフェのカウンターを含むウッディな空間が姿を現す。なるほど「隠れ家」とはよく言ったものだ。確かにここなら通りがかりの客はまず入ってこないだろう。このラウンジ的なスペースには、Goodman Axiom150のアンティーク家具のような風合いの大きな箱とB&W805Signatureの近未来的な高精度のシルエットが並び、ドアの向こうのライヴ・スペースからは巨大なアルテックのヴィンテージ・スピーカーが、しっとりとしたジャズを陽だまりのような暖かい音で流している。

 長方形のライヴ・スペースは、木貼りの床の中央に大きなアンティーク・テーブルがあって、さながら広めのリヴィングのようだ。まぶしさのない抑え目の照明。演奏時も客電がすべて落とされることはない(少し光量が絞られるけれど)。あまり高くない天井や表面を丁寧に仕上げたコンクリートの壁も、15人程度の聴衆が音を吸うので、響きの上で気になることはない。以前に書いたロゴバのショールームとは広さも明るさも異なるけれど、ステージ上だけがライトアップされ、聴衆は窃視者のように暗闇に身を潜めるライヴハウスとは、明らかに異なる空間がここにはある。むしろ、こちらから出かけていくのではなくて、自分たちのいる空間に演奏者たちが訪ねてきてくれる‥‥そんな感じだ。

 演奏はゆったりと始められた。舌の上に落ちた粉雪のようにすぐに溶け、消えうせてしまうエレクトリック・ギターの単音。息の成分を多く含み、遠くを見つめているテナー・サックスの揺らめき(この日の前半、橋爪は椅子に腰掛けたまま楽器を操った)。コントラバスがアルコによる豊かな響きを、空間にしみこませながら、ゆっくりと波紋を広げていく。この場にある空気をかき乱すことなく、透明水彩のようににじみ広がりながら溶け合う響き。ゆったりとした呼吸/時間/眼差し。
 たとえリズミックな局面があっても、それは時間/空間を切り刻みはしない。かき混ぜるだけ。ちょうどムビラ(親指ピアノ)の繰り返しを楽しむように。

 「The Color of Silence」とECM風のタイトルを付けられた3曲目は、疑いなく、この日のハイライトのひとつだったろう。ギターが音をくゆらせる深々とした広がりの中に、テナーによるテーマがコントラバスのアルコを伴って現れ、緩やかに解けていく。すうっと溶けて消えうせてしまうギターの響き(あまりの口溶けのよさに、名残惜しくて、思わず耳が後を追いかけてしまう)とテナーの鳴りと息が擦れ合うミクロなざらつきの対比が、昼間の空にかかる月のように、淡くおぼろに崩れてしまいそうな音世界の輪郭を、かろうじてつなぎ留めている。

 橋爪が立って演奏した後半は、こうした薄明の移ろいやすさはやや退いて、響きはよりはっきりとした輪郭を持った実体感のあるものとなった。それでも弓弾きされたコントラバスがつくりだす水面を浮き沈みするギターや、サックスの引き延ばされたロング・トーンが生み出す水彩的な「にじみ感」は共通している。演奏は押し立てるような推進力を排し、漂うような、足元から満ちてくるようなあえかさを一貫して信条としていた。

 この日の彼らの演奏の「触覚的」な面を指摘するなら、楽器の音を部屋の空気にしみこませ溶け合わせる響きのあり方だろう。音は何もない真空を飛んでくるのではなく、クロマトグラフィのように、空気にしみこみながら耳元へと届けられる。ここで音はステージ上に焦点を持たない。それゆえ聴衆の耳がとらえた音は、演奏者の身体像や運動イメージに還元されない。同じことが、もしかすると演奏者にも起こっていたのではないだろうか。通常のライヴハウスにおける、「客席に向ってサウンドを放射する」音の出し方を離れ、互いの音が同心円状に広がり、部屋の空気にしみこみながら溶け合うのを見たならば、互いの演奏の関係は、触れ合う肌のうぶ毛を感じあうものとなるだろう。それはまた演奏者自身にとっても稀有なことなのではないか。リズムや「ノリ」で構築するアンサンブルでは、そうした「うぶ毛」は擦り切れてしまうだろうから。

 この日の彼らの演奏は素晴らしいものだったが、聴取における「触覚」の次元の茫漠とした広がりの、ほんの片隅を掠めただけであることも指摘しておきたい(これについては思ったより長くなりそうなので別稿で述べることとした)。
 もうひとつ触れておきたいのは、「ライヴハウス」というライヴ演奏聴取に特化した空間から、もっと聴き手の日常の方へ歩み寄っていくライヴ演奏のあり方についてなのだが、これも今回の企画意図に賛同する旨だけを述べて、別稿に譲ることとしよう。

 2011年3月20日(日) 15:00~
 橋爪亮督(ts,ss) 市野元彦(el-g) 吉野弘志(b)
 於:綜合藝術茶房 喫茶茶会記



英国の老舗オーディオ・ブランド
Goodman のAxiom 150。
口径30cmのフルレンジ。
右端にちらりと見えるB&W805Signatureと
同時に駆動しているとのこと。

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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 14:31:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
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