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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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『松籟夜話』第七夜へのお誘い  Invitation to "Syorai Yawa", the Listening Event "Night Stories As Pine Tree Leaves Rustling in the Wind", the Seventh Night
 『松籟夜話』第七夜、いよいよ明日9月18日(日)に迫りました。今回は前回に引き続き360°records周辺特集ということで、AMEPHONEの作品を光源として、世界を照らし出していきます。ここでは参考に舞台裏について、少々お話しします。

 企画に当たっては、軸となるアーティストや世界観を、まず定めます。『松籟夜話』を実際に始める前は、いわゆる企画会議っぽい感じで、あれはどうか、これはどうかと、いろいろアタリを着けて、複数のテーマをストックしたのですが、実際に始まってみると、そんなハナシはどこかへ行ってしまって、初回のMichel Doneda以降、毎回やるたびに、次のテーマが自分の方から、我々の前面に立ちはだかるように姿を現してくることに驚きました。それゆえ、いつも次回のテーマは「次はコレをやらざるを得ない」というように、「必然的」というか、ある種「宿命的」に逃れ難く出くわすかたちで決まってきています。そうした遭遇の軌跡を振り返ると、それが決してミュージシャン人脈やジャンルのつながりといった、既成の道筋をなぞったものではなく、音響の感触や匂いの類似性・関連性を手掛かりに切り開いた「けもの道」となっている点が、とても『松籟夜話』らしいと、少々誇らしく感じています。
前回採りあげたtamaruから今回のAMEPHONEへと伸ばされた線は、レーベルや当時の国内シーンの動向に関連するものであり、これまでの選択とはいささか異質と感じられるかもしれません。もともと『松籟夜話』初めての2回連続企画として発想した時点で、それは明らかだろうと言えばそうなのですが、ここにまた、発想した時点では思いもつかなかかった新たな聴取の可能性が潜んでいました。

 準備段階でAMEPHONE関連作品の音源を聴き込み、前回のtamaruのように、各作品の内包する視点や音響構築の特徴を切り分け、これらに一見類似する音源や、逆に外見上は大きく異なるが深いところで通底している音源等を補助線として提示し、極端に切り詰められたtamaru作品の豊かさを明らかにしつつ、同時にあたりを照らし出していく‥というやり方は、今回は難しいと考えました。AMEPHONEは演奏者である以上に、サウンド・プロデューサーであり、レコーディング・エンジニアであり、絵画や個人映画の単独の作家であるよりも、複数のスタッフを差配する「監督」に近いことが、改めて見えてきたからです。そこで、彼の作品に共通し、そこにAMEPHONEならではの強度を、一種の「謎」(©多田雅範)として加えている点を掲げ、それぞれの方向からやはり強度の高い作品をぶつけていく‥という構成を採ることにしました。つまりは次の3部構成です。
 1.民俗音楽の捏造
 2.映画的な空間構成
 3.空間による音の変容への眼差し

 思い浮かぶ音源をあれこれと渉猟しながら、さらに思考を深めるうち、参照したCANやKink Gong 、ゴダールやタルコフスキー、パラジャーノフ、あるいはBridgette FontaineやSteve Lacy等を通じて(この中には当日プレイされないものも含まれています)、AMEPHONEが鋭敏な耳によってつくり出そうとしている世界がどのようなものなのか、改めて明瞭になってきました。それとともに、初期SaravahやBYGを支えたDaniel Vallancienをはじめ、Jean-Marc Foussat, Daniel Deshays, Francois Musy, Pierre-Olivier Boulant, Laurent Sassi, Marc Pichelin, Laurent Jeanneau等、一連の特異なサウンド・エンジニアの系譜が浮かび上がってくることとなりました(目聡い読者はこの固有名詞の羅列の中に、幾つもの方向から交錯する複数の線を看て取ることでしょう)。耳による世界の構築(捏造?)と絶えざる変容へと持続的に向けられる耳の眼差し。特にDaniel Vallancienはその象徴的な存在であり、言わばAMEPHONEの先駆ととらえることにより、その耳の横断性がよりわかりやすく示されることになると考えています。

 『松籟夜話』の準備とは、こうして当初の当てが外れ、坂道を転げ落ち、泥沼にはまり込むようにして、聴取の深みへと潜航していくプロセスであり、すでに聴き知っているはずの音源に、自らを取り巻く世界に、新たな発見をもたらす耳の旅路にほかなりません。こうして準備を重ねてなお、当日にはまた予想外の事態が出来し、新たな発見が、新鮮な思考が促されます。明日9月18日(日)、『松籟夜話』第七夜にご参加の来場者を、そうした豊かな体験にお連れすべく努めてまいりたいと思います。

 どうぞおいでください。

 なお、当日は混雑が予想されます。当日の急にご参加いただいた方にも対応すべく努力いたしますが、今からでも予約していただくことをお勧めします。また、当日はぜひ18時のスタート前においでください。お手間をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます。

『松籟夜話』第七夜原田縮小


『松籟夜話』第七夜

◎音楽批評・福島恵一とサウンドアーティスト・津田貴司がナビゲートする、「聴く」ことを深めるための試み。◎会場は青山・月光茶房隣設のビブリオテカ・ムタツミンダ。歸山幸輔によるオリジナルスピーカーで様々な音源を聴きながら「音響」「環境」「即興」の可能性を探ります。

第七夜は、360°records関連アーティスト、主にAMEPHONEの音源を灯台として、映画的な音像構成や民俗学的な現地録音、さらには空間に浸透していく響きの行方を見つめる眼差しへと至る、聴取の可能性を照らし出します。

福島恵一 音楽批評/「耳の枠はずし」 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/
津田貴司 サウンドアーティスト http://hoflisound.exblog.jp/
歸山幸輔 オリジナルスピーカー

日時:2016年9月18日(日)18:00〜(21:00ごろ終了予定)
料金:1500円...





ライヴ/イヴェント告知 | 16:26:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
『松籟夜話』第七夜フライヤ出来上がりました
 ご好評をいただいております、ディープでコアなリスニング・イヴェント『松籟夜話』。9月18日(日)開催の次回第七夜は、360°records関連アーティスト特集の2回目。主にAMEPHONEの音源を灯台として、映画的な音像構成や民俗学的な現地録音、さらには空間に浸透していく響きの行方を見つめる眼差しへと至る、聴取の可能性を照らし出します。

 先日、相方の津田貴司とビブリオテカ・ムタツミンダにて、長時間にわたり濃密な試聴/打合せを行いましたが、やはり初期SaravahやBYGを支えたDaniel Vallancien, あるいはMichel Donedaの共同作業者であるPierre-Olivier Boulant, Laurent Sassi, Marc Pichelin等、創造的な録音エンジニアが導きの糸となってくれそうです。さらにはゴダールやタルコフスキー、パラジャーノフといった映像作家たちも。

 想像的望郷を巡る耳の旅路、どうぞお楽しみください。フライヤも出来上がりました。まだ残暑厳しいですが、紙面には一足先に忍び寄る秋の気配が漂っています。川本要さん、いつも素敵なデザインをありがとうございます。どうぞご覧ください。

『松籟夜話』第七夜フライヤー縮小


『松籟夜話』第七夜

◎音楽批評・福島恵一とサウンドアーティスト・津田貴司がナビゲートする、「聴く」ことを深めるための試み。◎会場は青山・月光茶房隣設のビブリオテカ・ムタツミンダ。歸山幸輔によるオリジナルスピーカーで様々な音源を聴きながら「音響」「環境」「即興」の可能性を探ります。

第七夜は、360°records関連アーティスト、主にAMEPHONEの音源を灯台として、映画的な音像構成や民俗学的な現地録音、さらには空間に浸透していく響きの行方を見つめる眼差しへと至る、聴取の可能性を照らし出します。

福島恵一 音楽批評/「耳の枠はずし」 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/
津田貴司 サウンドアーティスト http://hoflisound.exblog.jp/
歸山幸輔 オリジナルスピーカー

日時:2016年9月18日(日)18:00〜(21:00ごろ終了予定)
料金:1500円
予約:お名前・人数・当日連絡先を明記の上,下記までお申し込みください。
gekko_sabou@me.com(月光茶房)

会場:Bibliotheca Mtatsminda(ビブリオテカ・ムタツミンダ:青山・月光茶房隣設ECMライブラリー)
東京都渋谷区神宮前 3-5-2 EFビルB1F
03-3402-7537
http://gekkosaboh.com/

ライヴ/イヴェント告知 | 00:35:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
タダマス、映画『キャッチ22』に出演する  "TADA-MASU" Appears in the Movie "Catch-22"
 益子博之と多田雅範がナヴィゲートするNYダウンタウンを中心とした同時代ジャズ・シーンの定点観測「四谷音盤茶会」(通称「タダマス」)の、7月24日(日)に開催される22回目を、『キャッチ22』で映画に初出演したアート・ガーファンクルと共に祝うこととしよう(私の誕生日でもあるし)。
タダマス22-1


 彼のソロ作品『ウォーターマーク』(私も愛聴している名盤!)を絶賛する多田は、第22回四谷音盤茶会について、自身のブログで次のように書いている。

 益子セレクトでしか透視できないような可能性の領野だ、この耳のラインを示唆しているメディアや音楽批評は世界的にも他にないわけだけど、海外のミュージシャン投票と共振しているという客観的な裏打ちもあるし90年代にラパポートさんのじゃずじゃで耳を鍛えたぼくや友人たちは今はここが発火点であることを確信している。
今回はよもやのブルーノートに悶絶してしまうし、すぐにはその底知れぬ可能性を把握できない恐ろしい女性ピアニストの発見もあるし。
 http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20160707


 また今回もオドロキに満ちた、新たな出会いが用意されているようだ。一方、益子による告知は次の通り。

 今回は、2016年第2 四半期(4~6月)に入手したニューヨーク ダウンタウン~ブルックリンのジャズを中心とした新譜CDをご紹介します。
 ゲストには、ジャズから即興、エレクトロ、ポップスまで幅広い分野で活躍するベース/ヴァイオリン/エレクトロニクス奏者、千葉広樹さんをお迎えすることになりました。千葉さんの活動の範囲と同じように、多彩に広がる現在のニューヨークを中心としたシーンの動向をどのように聴くのでしょうか。お楽しみに。

 基本的には益子による選盤・選曲に基づいて進められながら、ゲストであるミュージシャンの意外な見解、多田の激しくコースアウトするツッコミ(かつボケ)により、予想外の展開を見せるのが「タダマス」の常であり、飽きることのない魅力である。
 レコード会社の惹句やミュージシャンのレコ発インタヴュー等に沿って、つまりは「制作者」側で用意した「正解」をなぞるのではなく、複数の耳の間で突き動かされ、引き裂かれて、気紛れかつ不安定に移ろう、だがそれゆえに多面的に開かれた「聴取」体験の魅力を、ぜひ味わっていただきたい。

タダマス22-2

masuko/tada yotsuya tea party vol. 22: information
益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 22
2016年7月24日(日) open 18:30/start 19:00/end 22:00(予定)
ホスト:益子博之・多田雅範
ゲスト:ベース・ヴァイオリン・エレクトロニクス奏者/作曲家
参加費:¥1,300 (1ドリンク付き)




ライヴ/イヴェント告知 | 23:17:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
特別な一夜 - 『松籟夜話』第六夜に向けて  A Special Night -Toward The Sixth Night of Listening Event "Syorai Yawa (=Night Stories As Pine Tree Leaves Rustling in the Wind)"
 いよいよ明日(6月12日(日))に迫ったリスニング・イヴェント『松籟夜話』第六夜。今回はとりわけ特別な一夜となりそうだ。

 もちろん私にとって『松籟夜話』の一夜は、いつだって特別な時間だ。常に新たな発見がある。そこでプレイする音源は、少なくとも自分が選んだ作品については、どれもよく聴き知っているし、準備の段階で、またさらに何回となく聴き返している。テーマに沿って音盤の当たりをつけ、トラックを選び、構成や配列を検討し、長いトラックの場合はピックアップする箇所を抽出し、さらに流れを確かめる。
 この段階でも、決して確認だけには終わることなく、いつだって発見がある。ある視点や文脈を設定して、あるいは特定の音/響きの手触りや運動イメージを思い描いて、音盤から音盤へと自由連想的に、あるいは手探りで、時には行き当たりばったりに‥‥、歩みを進め、飛び移る機会などなかなかないから。
 固定された視点や文脈が音世界をフレーミングし、先に聴いた作品の耳に残る響きが、次の聴取に波紋を投げかける。その結果、音は新たな相貌で立ち現われてくる。「以前には、この作品の、一体何を聴いていたのだろう」と訝ることすらある。
他人に聴かせることを想定する、しかるべき部分を抜き出す等のアクションが新たな発見をもたらすこともある。たとえばFracisco Lopezによるコスタリカ熱帯雨林のフィールドレコーディング『La Selva』。長大な1曲から手触りや匂いの異なる各部分を抽出する作業を通じて、刻一刻と移り変わる連続体のように思われたサウンドが、驚くほど暴力的な切断/音場面転換に溢れていることに気付かされた。

 さらに途中で、『松籟夜話』の相方であるサウンドアーティスト津田貴司と、実際に二人で音を聴きながらあれこれ相談する機会を持っている。鋭敏かつ柔軟な、恐るべき耳の持ち主である彼に聴かせるのは、常に緊張の連続だ。そして、ここでやはり多くの発見がある。彼の反応やコメントももちろん発見の契機となるが、それだけでなく、「他者と共に聴くこと」すなわち「複数による聴取」が新たな気付きをもたらす。決して「顔色をうかがう」というようなことではない。二人の共有する空間に、いま鳴っている音がどう響いているかということなのだ。これはきっときわめて原理的なことなのだと思う。

 そして当日、参加者の皆さんと共に聴くことが、幾つもの思いもしなかった新たな発見、豊かな体験をもたらす。これはきっと「津田貴司という協力者/共犯者」から「主催者が応対すべきお客様」へと対象が変化したからではあるまい。やはり「二人」と「三人以上」とでは全くの別世界なのだ。
 選盤担当として自分の選んだトラックがねらい通り響いているかどうかチェックする眼差しがある。参加者に音が届いているか、そこにどのような反応が生成しているか探る視線がある。参加者のうち、特定の誰かに乗り移るようにして、そこで聴き取られている響きをトレースする触覚がある。だがそれだけではなくて、まさに複数の耳の間を、乱反射するように高速で遷移し、同時に幾つもの耳で聴いているような、多方向に引き裂かれてかれて散り散りとなり、当てもなく響きの波間に浮かび揺られるような、自分が「複数化」していく体験がそこにはある。
 歸山幸雄作成の特製スピーカーの持つ、まるでゴーグルを着けてプールに潜った時のような、表面のまぶしさを取り去ってどこまでも奥を見通すことのできる視線の浸透力、いまここの空間に録音に「真空パック」された音響だけを放つのではなく、聴き手の空間を直接揺すぶりたて変容し、タイムスリップ/テレポーテーションを起こさせて、音響の生成している現場へと聴き手の身体を運び去る力もまた、新たな発見をもたらすための大きな支えとなっていることは疑いを入れない。

 そうした本来の「特別さ」の中で、明日の『松籟夜話』第六夜が「とりわけ特別」であるのには、もちろん理由がある。ひとつには、私ではなく、津田貴司がテーマを発案し、主軸となる選盤を行っていること。だが、一見決定的に思われるこの理由は、実はたいしたことはない。どちらが選んだとしても、ある程度、選定の対象範囲は重なり合うし、たとえ重ならないとしても、よく知らないことは稀だ。本当の理由は、テーマである360°recordsレーベルや日本の「音響派」が、私が当時すれ違ったというか、意図的に遠ざけてきた対象ということにある。
 もちろん『+/-』をはじめ池田亮司の諸作は聴いていた。しかし、音素材の極端な限定や徹底的に削り込んだミニマルな構成という手法の枠組み、あるいはコンセプチュアルなエクストリミズムに寄りかかることのない彼の作品の強度は、むしろ多方向からの諸力の交錯/衝突を、この一瞬に深々と刻み付け彫琢し、そこから生成し立ち上がってくるものとして、アルベルト・ジャコメッティのデッサンやデレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションの近くにあるように、私には思われた。これに対し、池田を含む我が国の「音響派」について語られるのは、正弦波、物音、沈黙、極端な微小音量、グリッチ、アナログ・シンセサイザーによる古めかしい電子音‥‥といった素材選択の時点で完了し、それが「演奏」や「作品」たり得ることが自動的に保証されてしまうような、粗雑にして安易な言説ばかりであり、そこには「日本スゴイ」的な別種の自己完結的な愚かさすら感じられて、私はそれらに食傷し、辟易し、吐き気すら催していた(もちろん、彼らが象徴的に掲げる幾つかの作品は聴いたが、それは決して私の認識/評価を変えることはなく、むしろ裏付けを強めることとなった)。今から思えば悔やむしかないのだが、360°recordsレーベルの作品も、また、今回特に重点的に採りあげられるアーティストtamaruも、そうした枠組みの中に位置づけられており(少なくとも当時はそう思われた)、私は耳を傾けることなく、すれ違ってしまうこととなった。
 しかし、信頼すべき聴き手である津田の先導で、これまで避けてきた海域へとくぎ出すと、そこに豊饒な音世界が開けていることがすぐにわかった。いや、もっと正確に言えば、彼の勧めでtamaruによる映像作品を観る方が先だった。

 2015年1月10日(土)にFtarri水道橋店で開催された『New Year Silence』なるイヴェント(※)でtamaruは映像作品を上映した。それは実にさりげなく何気ない日常のひとコマを切り取りながら、デジタル→デジタルの転送回路をアナログへと切り開きつつ、そこへさらに「コロンブスの卵」的な驚くべき簡素な仕掛けにより物理的な揺らぎを導入し、別種の読み取り/変換上の揺らぎをそこここで顕在化させる、細部の豊かさに満ち満ちたものだった。全体がぼうっとして、ますます輪郭が曖昧になり、揺れているほとんど染みのような斑紋。画面全体の均質性の強さがもたらす、オールオーヴァーなつかみどころのなさ、視線の落ち着きどころのなさ。背後に潜むミクロにちらつくような、溶け広がってにじむような動き。ピントが合ったりずれたりする感覚と画面全体の静かな息づき/脈動。すべては運動の只中にあるというベルクソン的なヴィジョン、あるいは腐食のようなミクロで緩慢な変化。そうした疑念と不安が画面全体に薄く薄く溶け広がり、輪郭は震え滲みちらつき、ミクロな脈動が全景に波及するようでいて、再び見直すと何事もなかったように整列している。画面上の事物の、揺らぎをはらみつつも空間にはまり込んだような静謐な佇まいは、ジョルジォ・モランディ的な魅力をたたえている一方で、その揺らぎはとても視覚では受け止めきれず、手指の間からこぼれていく微細な豊かさを誇っている。それらを根底で支えているのは、tamaruのコンセプトやヴィジョンではなく、ましてや手法ではなく、透徹した凝視の視線の強度にほかならなかった。
※当日の様子については次のレヴューを参照していただきたい。
 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-333.html

 今回の『松籟夜話』第六夜では、そうしたtamaruの音響作品の聴取が基軸となる。彼の作品については本当に聴いて、触れていただくよりない。決して知識や音楽経験は必要ない。むしろコアな音楽ファンの方が、かえってかつての私のように「音響」という括りにとらわれてしまいやすいかもしれない。それゆえ私はツッコミ役として、ここで聴かれるtamaru音響が何と似て非なるものであり、何と一見異なりながら通底しているのかを、補助線として示していきたいと思う。

 というわけで、360°recordsやtamaruを知っている方はもちろんのこと、むしろ知らない、聴いていない方、そもそもマイナー音楽、辺境音楽自体、これまで聴いたことのない方にぜひご参加いただければと思う。「失われた20年間」を後悔して止まない私が言うのだから間違いない。
松籟6-1


 リスニング・イヴェント『松籟夜話』第六夜は、初期の360°records関連アーティストの音源を灯台として、「音響派」というカテゴリー化によってかえって覆い隠されてしまった聴取の可能性を照らし出します。なお、360°records関連アーティストについては第七夜でも取り上げる予定です。
 津田さんの先導で360°records周辺を探索。当時すれ違っていたことを痛感。でも、今だからこそ気づけたとの感も。決して振り返りにとどまることなく、新たな発見に溢れています。ご来場お待ちしています。
 「音響」とひとくくりにされてしまったがゆえに、決定的に「聴くこと」から遠ざけられてしまっていた響きに、耳の眼差しの焦点を合わせ、不定形のにじみやしみ、斑紋が浮かび上がるのをじっくりと待つ。繰り返し掬う「ふるい」の中にきらめく粒を見出す砂金採りの喜び。今回はいつにもまして「発見」の多い夜になりそうです。歸山スピーカーもきっと新鮮な驚きをもたらしてくれると思います。
なんて、難し気なことを呻いて、ハードルを上げてしまうのが悪い癖。360°records周辺や関連アーティストをあらかじめ知っている必要などありません。津田さんの言う通り、ただ聴くだけ。ただ見知らぬ響きに耳をそばだて、予期せぬ出会いに眼を輝かせていただければ‥‥。
松籟6-2
撮影:原田正夫
 しかし、この写真はすごいなー。頭の中で思い描いていたイメージを、そのまま写し取られたみたい。原田さんって念写もできるんですか?


◎音楽批評・福島恵一とサウンドアーティスト・津田貴司がナビゲートする、「聴く」ことを深めるための試み。◎会場は青山・月光茶房隣設のビブリオテカ・ムタツミンダ。歸山幸輔によるオリジナルスピーカーで様々な音源を聴きながら「音響」「環境」「即興」の可能性を探ります。
ー第六夜は、初期の360°records関連アーティストの音源を灯台として、「音響派」というカテゴリー化によってかえって覆い隠されてしまった聴取の可能性を照らし出します。なお、360°records関連アーティストについては第七夜でも取り上げる予定です。
福島恵一 音楽批評/「耳の枠はずし」 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/
津田貴司 サウンドアーティスト http://hoflisound.exblog.jp/
歸山幸輔 オリジナルスピーカー

日時:2016年6月12日(日)18:00〜(21:00ごろ終了予定)
料金:1500円
会場:Bibliotheca Mtatsminda(ビブリオテカ・ムタツミンダ:青山・月光茶房隣設ECMライブラリー)
東京都渋谷区神宮前 3-5-2 EFビルB1F
http://gekkosaboh.com/



ライヴ/イヴェント告知 | 00:20:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
大上流一・森重靖宗ライヴ『Shield Reflection』@Ftarri水道橋店  Live Information Ryuichi Daijo " Shield Reflection " with Yasumune Morishige at Ftarri Suidobashi
明日5月22日(日)の夜は、このライヴへ。大上流一 (ギター) と 森重靖宗 (チェロ)という、かねてから追いかけてきた二人の演奏者の注目すべき共演。
 ギターとチェロによるフリー・インプロヴィゼーションというと、やはりデレク・ベイリーとトリスタン・ホンジンガーのことを思わずにはいられない。管楽器を含まない、パワー・ミュージックとしてのフリー・ジャズから離陸し遠く離れた、「音による思考」というべき、繊細かつダイナミックな速度と変化に溢れた音楽。それは一見、抽象の極限へと向かうようでありながら、実はストリートの猥雑な喧噪に満ち満ちていた。
 もちろん、彼らがそうした先行例をなぞるわけはあるまい。ベイリー直系的な演奏からスタートし、その引力圏を脱出して透明な叙情や空間への沈潜へと至る大上と、サウンドをアブストラクトに研ぎ澄ますことで、音のマテリアルな強度、身体への具体的な働きかけを究めていく森重。二人がどのように交錯/衝突し、あるいは並行し、すれ違うか、期待に胸が震える。今回のライブの企画は大上によるものだが、これまで専らトリオ編成で進めてきた『Shield Reflection』のシリーズを、今回デュオに切り替えるにあたり、おそらくはある秘めた決断/覚悟があるのだろう。確かに森重は、そうした重大な転換を託すに値する相手に違いない。注目。
大上縮小  森重縮小
大上2縮小
5月22日(日)午後7時30分開場、8時開演
『Shield Reflection』
大上流一 (ギター) + 森重靖宗 (チェロ)
Ftarri 水道橋店
1,500 円

http://www.milkman.jp/ryuichi%20daijo/daijo%20index.html
http://www.tochoh.com/event/51311





ライヴ/イヴェント告知 | 23:59:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
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